高田義裕の人生論

兵法論

When bigining war, what happen if know everything, military power, spirit power, conditions, military operation etc, with each others? That is only power and number decide victory or defeat. But, real situation have no intelligence. That is, unknowing lead to feel about for. So thing of indispensable are spy, strategy, tactics. Valid measure are to be carelessness, to attack part of weakness, to take person by surprise, etc. And we imagine many different attack and defense by enemy, and we prepare ourself to cope with these things.

高田義裕の人生論

神学序説

真のクリスチャンにおいて、神に救われたいという事はどういう事を言うのであろうか。それは単に神の裁きであるハルマゲドンから救われたいとか、その後の楽園で永久に生きて人生を楽しむために救われたいとかという意味では決してない。もし、それがあなたにとって救いの意味の大部分を占めているなら、あなたは決して救われないであろう。正に真の試みがあなたに及んだ時、あなた自身がそれを放棄する事になるだろう。本当に救われる者とは、あくまでも楽園とか、永遠の命とかが主要な目的では決してない。そのようなものは二の次であるのである。真の救いとは、まず何よりも神を愛し、神に絶対の信頼を置いているという事に他ならない。すなわち、何を犠牲にしようとも、常に喜んで神の御意志を優先する態度の事である。そして、自分のこのどうしようもない存在の虚しさと邪悪な傾向、そして、自身の無価値さに対して深く悔い、嘆き悲しみ、何とかこの惨めな自分を神を通して許していただきたいという、その一念のみに尽きるという事なのである。

高田義裕の人生論

新確率論

小さな事柄であればあるほど偶然性は高くなり、事柄が大きくなればなるほど偶然性は低くなる。すなわち、必然性,原因と結果の因果律が高くなるのである。

2.必然性とは奇蹟的な偶然性の極限の事である。要するに、確率的に必ず起こる事象とは絶対に確率的に生じ得ないとまで言える事象が起きた事に等しいという事である。

高田義裕の人生論

神学序説

神エホバは言われる。私はまさにあなたのすぐ横にいてあなたを救おうと手をさしのべている。あなたはただ自分の手を伸ばして私の手をつかめばよいのである。しかし、私が強制的にあなたの腕をつかむ事はできない。それは、あなたが確かに私の救いを望んでいる事をあなた自身が示すためである。そうである、私達が神の手に自分の手を伸ばすという行為は神を認め、神の救いの手立てとしての御子イエスキリストの購いの犠牲に信仰を働かせる事なのである。しかし、あなた方は自らの手を伸ばす事をせず、彼に信仰を働かせなかったのである。まさに聖書にこう書かれてある。マタイによる書23章37節,エルサレム、エルサレム、預言者たちを殺し、自分に遣わされた人々を石打ちにする者よ、私は幾たびあなたの子供たちを集めたいと思ったことでしょう。めんどりがそのひなを翼の下に集めるかのように。しかし、あなた方はそれを望みませんでした。

高田義裕の人生論

時間論

時間が経つと言う事は、単位の大きさには関係ない。例えば、12345678910と1つずつ増えて行く事も、100,200,300,と増えて行く事も共に同じ事とみなされる。時間を述べる上で大切な事は、ある同じ種類の単位が、減少であれ、増加であれ、変化している事なのである。よって、テレポ-テ-ションの理屈も時間の中では当たり前に存在する。例えば、1234,100,2500,というのもジャンプと言えるし、2500,100,4321,と言うのもジャンプと言えるのである。よって、1234,100,2500,と2500,100,1234,は同時に存在しうるから、1234,2500,100,と言う組み合わせも可能であるという事である。

高田義裕の人生論

今日の格言

神学序説

神を知らない者は、自分がいかに高慢であるかも知らない。しかし、神を知る者は、自分がいかに高慢であるかを知っている。そして、日々、自分の心の状態を吟味し、正しい方向に修正し、すべてのものを世話しておられる、そして、御自身は何の世話も必要としていない、まことの神エホバに対して、全く黙して、その前にへりくだらなければならない事を知っている。

高田義裕の人生論

今日の格言

政治学

愚かな政治家がたくさんいて、意見がまとまらない民主制よりも、知恵のある聡明な、わずかな人達の専制政治の方が勝る。

神学序説

神を信じない人達は、皆、一様にこう言う。神がいるのなら、なぜ、神はこの世の苦しみを許しておられるのか、と。しかし、逆に、苦しみ自体はこの世の存続に依存している。そして、この世自体を存続させてくださっているのは、神なのである。よって、苦しみを生み出しているのは、神のせいではなく、苦しみを生み出しているのは、人間なのである。

高田義裕の人生論

今日の格言

神学序説

私達がどれだけ神エホバを愛していると言ったところで、実際本当に神エホバを愛しているかどうかは定かではない。それは常に自己満足の域を出ない。しかし、エホバ神に感謝する事は、それがたとえ、どんなに僅かな事であっても、感謝をしている事には変わりはないのである。これはまるで、1人のある若い娘が、階段を降りようとしている老人を、傍で支えながら降りるのを手伝っているようなものである。すなわち、心は見えないが、思いやりは見えるのである。よって、私達は常に神エホバに感謝し、そして神エホバを本当に愛する事が出来るように常に神に懇願し、祈り続けるべきである。

高田義裕の人生論

今日の格言

新確率論

単純な事は起こりやすく、複雑すぎる事は起こりにくい。この世の中の現象は単純ではなく、複雑であるが、複雑すぎる事はない。また、熱力学第三の法則により、物事は放っておくと、単純な方向に向かおうとする。なぜなら、単純な方が楽だからである。物事は複雑であればあるほど、膨大なエネルギー(生命力)を必要とするからである。

高田義裕の人生論

今日の格言

真理方程式

病気になるという事は、裏を返せば、正常な状態というものが存在し、あらかじめ、定められている事を示している。その具体的数値はわからないから、正常な状態をXと置く。よって、病気の状態は、-Xと表される。よって、その差は、X-(-X)となる。よって、2Xとなる。病気とは、異常な状態と定義できるから、異常をYと置く。ここで、真理方程式 Ω (αα/2α) より、XとYを代入して、Y(XX/2X)となる。Y=-Xだから、-X(XX/2X)となる。