高田義裕の人生論

今日の格言

神学序説

イスラエルの聖なる方、唯一にして、全能なる神エホバは私に言われた。私は死んだ偶像の神ではない。まさに私は自分の右腕を伸ばして、私の憐れみを日本国民に与える。それで、その初めとして、私は現代の疫病である、新型コロナウイルスを激減させた。それは人の努力によるものではない。すべては私、エホバの強力な聖なる力によって、そうなったのである。ここで、私は宣言する。私、エホバは人類全体に対して、今日、憐れみを示す。全世界の疫病である新型コロナウイルスは私の聖なる力によって、直ちに終わりに至らせる。これは、すべて、人間の力によるものではない。私、エホバが新型コロナウイルスを激減させることによって、全諸国民が、私、エホバが唯一の神であり、全能者であることを知り、その力の栄光を人間に帰さず、すべての人間がエホバこそ、唯一、まことの神であることを知るためである。

高田義裕の人生論

今日の格言

ある平和主義者は神に尋ねた。なぜ人間は争い続けるのですか?すると、神は答えた。それはまさにあなたの様な人が存在するからだ。すると、その人は不思議に思ってこう言った。どういうことですか?すると、神はこう言われた。理由は実に単純で簡単なことだよ。人間が争うのは、人間は平和とは何かを知らないからだ。人は皆、争いたくて争うのではない。むしろ、人は平和を知らないからこそ、平和を求めて争うからだ。すなわち、あなたの様な無知な人間による無知な質問こそ、戦争を起こすのである。なぜなら、現在から過去までのあらゆるすべての戦争の動機は争いのために争ったものでは決してなく、誰もが皆、平和を得るために戦ったものだからだ。

高田義裕の人生論

今日の格言

善とは何か?

一番最後に残るものこそ、善である。よって、一番最初に繁栄するものこそ、悪である。すなわち、今、現在、栄えているものこそ、悪であり、それらはいずれ消え失せ、跡形も無くなる。しかし、善は今、現在、繁栄していないが、いずれは最後まで残る。

高田義裕の人生論

今日の格言

人の命に優劣はあるか?

人の命に優劣はあるか?それは確かにある。すなわち、人の命を優劣で判断したがる人間が一番劣っており、また、人の命に優劣を付けない人が最も優れた人である。

高田義裕の人生論

今日の格言

過ちには、常に一瞬の快楽が伴う。よって人々はこぞってそのはかなき一瞬の快楽を求めてさ迷い、過ちを積み重ねるのである。また、善行には常に苦痛が伴う。しかし、その試練を越えたところには、永遠でとこしえの喜びが待っている。その喜びに比べれば、どんな試練もつかの間で軽いものであることを知るであろう。よって、多くの人は過ちを繰り返し、善行を行う者は数少ないのである。

高田義裕の人生論

今日の格言

悪人の定義

悪人とは誰のことか?それは口では立派なことを言っていても、実際には自分の言った事柄を行っていない人間のことである。すなわち、実行力の伴わない人のことを言う。例えば、私は他の人に親切を行うと言いながら、実際には親切を行っていない人のことである。まさにその人こそ、悪人である。よって、その人から比べれば、何も立派なことを言わない代わりに何も実行しない人の方がより善人である。要するに、自分の言ったことに責任を負わない者は皆、悪いのである。それにより、我々は誰しも、口先では良いことを言っていても、実行力がないから、我々は皆、悪人なのである。

高田義裕の人生論

今日の格言

倫理学序説

倫理の絶対条件

1.悪いことほど、魅力的に見える。

2.良いことほど、退屈なものに思える。

高田義裕の人生論

今日の格言

人間にとって正しいことが必ずしも人間にとって幸福であるとは限らない。例えば、正しさとは、今、現在の不平等で、不公正という偏りという常識と世界観を覆すことと定義すれば、今、現在の世界体制の根幹を揺るがしている新型コロナウイルスは正しいということになるからである。すなわち、大自然の摂理が新型コロナウイルスを生んだかもしれないからである。すなわち、新型コロナウイルスという疫病が来る前の世界体制の常識という知恵と富はもはや通用しなくなったからである。我々人類は、新型コロナウイルスの出現によって、新たな未知の世界をいわば、強制的に改めなければならなくなったからである。我々人類は今までの安楽で慣れきった世界観からの脱却のために今一度、生き残りを賭けての新しい知恵と価値観を身に付ける必要に迫られているのである。よって我々人類は元の生活にもはや二度と戻れないという真剣な覚悟でもって新しい道を切り開かなければならないのである。