今日の箴言
たとえ、死であっても、それが死ぬべき時に死ぬ事、死に値するものが死ぬ事、もしくは、本来死ぬべきものが死ぬ事は、秩序ある正しい事柄なのである。それが、もし、成立しないとすれば、それは正しくない、すなわち、悪という事になるのである。例えば、生き物の体の新陳代謝として、細胞とは、生まれて来ては、それが古くなると、死んで、また新たな細胞が生まれて来るという事が、細胞としての正しい性質であり、もし細胞が古くなっても死なないとしたら、それは正しくない、異常な事なのである。よって、人間が死を忌み嫌っているのは、人間という存在が、死ぬべき様な存在として造られていないという事の感情的な証なのである。もし、人間が最初から、死ぬべき存在としてあるのなら、人間にとって死ぬ事は当たり前のことであり、それは正しいことであり、死を忌み嫌うはずも無く、むしろ、死ぬ事を喜ぶはずなのである。しかし、人間は人の死を喜ばないのである。これは、本来人間は死ぬ存在では無かったという事を示しているのである。ここで、聖書の言う永遠の命というものも、ただの絵空事ではなくなって来るのであり、にわかに現実実を帯びて来るのである。