高田義裕の人生論

今日の箴言

人は皆、まず先に、得よう得ようとするから、すべて失敗するのである。本当の正しい順序とは、まず、与えてからでなければ、どうして得られるでしょうか、ということなのである。例えば、友達が欲しいと思うなら、相手が来てくれるのを待っていても、それは、永遠に来てくれないのであり、まず、自分の方から相手の人に声をかけて友達をつくっていくようにしなければならないからである。

2.初めから、人生とは、失敗と書くのである。よって、失敗をいちいち恐れてはいけないのである。

3.初めから、人間は、愚かと書くのである。よって、どれだけ愚かな行いをしようが、それにいちいち悔いていては、身がもたないのである。

4.初めから、人間は、助け合いと書くのである。よってどれだけ、お世話になっても、それにいちいち負い目を感じていては、身がもたないのである。また、どれだけ相手のことを助けてあげても、それをいちいち数え挙げていては、誰も寄り付かなくなるのである。

高田義裕の人生論

今日の箴言

誰であれ、一人の人を侮る者は、すべての人を侮ることになる。

2.知恵と真理を知ることが、人間にとっての真の幸福の道であると信じて、それを集めることに没頭する者に対して、その終わりは、自分自身への様々な傷みや問題の集積に他ならないこと。すなわち、人は、知識を増し加えた分だけ、また次から次へと問題をも増し加えることになるのである。これは、まるで、多くの貴重な宝や財産を手元に集める分だけ、それを維持したり、管理したりするのに、少ししか持っていない者よりも、余計にコストがかかり、気苦労も要してしまうということである。人生は、よくマラソンに例えられる。すべての人がゴールまで向かって走るのであるが、その走る際、マラソン選手は、できるだけ、何も身に付けずに、身軽になって、自分の身一つで走ろうとするだろう。しかし、一人だけ変わった人がいて、体に幾つもの黄金の金を身につけて、酷そうに走っている。観客は皆、それを見て、笑ってこう言う。あの人はなぜ、あの様な重たい荷物を持ちながら、走っているのか。それでは、酷いに決まっているではないか。マラソンの意味が分かっているのか、と。そう、マラソンという人生において、多くの物を所有することは、最後には、もう走れなくなって、リタイアするマラソン選手のような者なのである。彼らは自らのその富の故に、自らの人生を滅びに陥れるのである。

高田義裕の人生論

今日の箴言

強さは、弱さに勝る。しかし、知恵は、強さに勝る。しかし、正しさは、知恵に勝る。しかし、愛は、正しさに勝る。よって、たとえ、弱くても、愛があれば、どんな力よりも強い。また、たとえ弱くても、愛があれば、どんな知恵よりも賢い。また、たとえ弱くても、愛があれば、どんな正しさよりも正しい。よって、最も強いのは、愛である。

高田義裕の人生論

今日の箴言

正しいことと、正確であるということは、同一のことであること。要するに、正しさを得る為には、まず、正確さを目指さなければならないのである。すなわち、人は、正しさを得ようとして、正しさを得ることが出来ないのであり、まず別の観点である、正確さを追求しているうちに、全く意図せずに、正しさも得ることが初めてできるのである。

2.倫理学序説

人はすべて、意図してそれを得ることは出来ないが、人はすべて、それを意図せずに初めて得ることができる。この法則を無視して、得たいものを得ようと欲張ると、必ず失敗して痛い目に合うのである。

高田義裕の人生論

今日の箴言

人より、比べものにならないほど、お金を多く所有している者は、むしろ、お金を余り持っていない人達よりも、お金に対して感激しなくなるのと同様に、他より、比べものにならないほど、知識と知恵があり、偉大である者は、むしろ、自分の持っている知恵と知識と偉大さに関して、感激したり、誇ろうとは思わなくなるものである。よって、むしろ、逆に、お金も中程度に持っていて、能力も中程度のレベルにある人々が、しきりに、お金の量を競い合ったり、能力の差を誇りあったりしているのである。すなわち、互いに競いあっている段階で、常に、お互いの程度が低いことを露見するものなのである。

高田義裕の人生論

今日の箴言

大きすぎるものは、むしろ逆に、大きすぎて見ることが出来ず、気付かれないように、偉大なものも、むしろ逆に、その偉大さの大きさの、途方もなさの故に、偉大すぎて見えず、かつ、気付かないものなのである。よって神は、偉大な方であるので、我々には、見えないものなのである。しかし、神御自身は、それでも、人が、自らの意志を働かせて、神御自身を見いだすことに目ざとくある、霊的に、洞察力のある者を楽しみにしておられるのである。

高田義裕の人生論

今日の箴言

聖書の罪とは、人間による絶対化への渇望、すなわち、自分が神のようになりたいというナルシズムにあったのである。

2.善悪を超えて存在され、損得を超えてすべての生き物を生かしておられる方、エホバ神だけに、栄光と誉れと賛美と力とが、過去も、今も、そしてこれからも、永久にありますように、アーメン。

3.たとえ、神を全く必要としない者がいるとしても、その人にとって神という存在は全く無関係なのでは決してない。その場合、その人にとって、自分自身が神なのである。

高田義裕の人生論

今日の箴言

正しいことが幸福なこととは、限らないが、幸福なことは、正しいことである。

2.自分という存在は、自分のためにあるのではなく、人のためにあるのである。

3.人間にとって、チームワークこそ、すべてであり、ワンマンプレーは、自分を人から孤立させるだけなのである。何事も、お互いに協力して目的を達成していくことこそ、正しいのであり、それによって、人間は、互いに持ちつ持たれつの関係が保たれることによって、上下関係のない、すなわち、誰か一人だけが、目立ったり、誰かが、みんなから低く扱われることも無く、皆、仲良くしていけるのである。

4.我々に展開されている、ごく日常の、当たり前だと思っている営みすべては、合理的には説明出来ないこと。なぜなら、すべては、合理性を超えて成立しており、それは、計算すれば、答えが出るような単純なものでは決してないからである。

高田義裕の人生論

今日の箴言

中途半端に行なうくらいなら、むしろ、全くしない方が良いこと。

2.人間とは、自分の誇りや、自尊心を失ってでも、生きなければならないほど、生に、縛られる必要は無いし、生ける屍になってまで、生に対して、執着はしないという、人は、本来、立派で、良い意味で誇り高く、元々道徳規準の高い、気高い生き物なのである。

3.真の情報とは、何事も、他の者に先んじて知り得る極秘のものであり、英語で言えば、インテリジェンスであり、インターネットで検索すれば、誰でも知ることのできる、英語で言えば、インフォメーションという情報は、もはや情報としては、何の値打ちもないものなのである。何事も、他の人より先に、まだ誰も知らない情報をいち早く掴んで、迅速に行動するなら、大きな利潤を独り占めすることができるからである。

高田義裕の人生論

今日の箴言

この世の中で、人がただ普通に生きていくだけでも、様々な賢い知恵や、ギリギリの駆け引き、そして、驚くほどの労力や、気遣い、知識、資力が必要不可欠なのである。しかし、それらをすべて補って、かつ、余りあるようにしてくれるのが、神からの知恵である。それは、ひとえに、謙遜さという特質なのである。あなたはどこに行っても、また、誰に対してであろうと、自分の頭を低くしなさい。そして、常に謙遜であるよう努めなさい。それはまさに、暴風雨の中の立派な避雨具であり、体全体を守ってくれる丈夫な鎧なのである。謙遜に行動することだけが、我々にとって、欠かすことの出来ない救命道具なのである。この知恵が私達に与えられたことを、全く神に感謝するものである。