今日の格言
生物が細胞分裂するとき、細胞の数がどれだけ増えても、全体の体積と重さは変化しない。毒を持つ生物にはその生物自身には毒は効かないようになっている。すなわち、毒の内部には毒はない。同様に、ブラックホールの最深部には大きな空間が広がっている。
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今日の格言
生物が細胞分裂するとき、細胞の数がどれだけ増えても、全体の体積と重さは変化しない。毒を持つ生物にはその生物自身には毒は効かないようになっている。すなわち、毒の内部には毒はない。同様に、ブラックホールの最深部には大きな空間が広がっている。
今日の格言
互いに反対の関係にあっても、一方の否定が必ずしも、もう一方の反対の肯定になるとは限らない。これは例えれば、赤信号と青信号は互いに反対の概念であるが、もし赤信号が存在しないとき、青信号が必ず存在するとは限らないのである。しかしもし、手前の赤信号が点灯しているとき、反対側の信号は必ず青信号になるのである。ここで初めて、一方の否定がもう一方の反対の肯定に必ずなるのである。これを簡略に表すと、ここでアンチαが存在しないとき、確実にαが存在する。しかし、αが存在しなくても必ずしも-αが存在するとは限らないのである。よって、一般的に、あるAが存在するためには、必ず最初にアンチAが存在しなければならない。またアンチAが存在しないとき、必ずAは存在する。
今日の格言
大患難
世界中で新型コロナウイルスという疫病が猛威をふるっている。もはや、世界のすべての人々が新型コロナウイルスの脅威にさらされた。しかし、将来、必ず起こる、世界レベルでの大患難はこのくらいでは済まない。そう、大患難の日には、1日のうちにありとあらゆる災難が複合的に一気に集中してやって来る。例えれば、人類が今のように疫病の災難に遭っているときに、不意に自然災害が発生し、大雨と雹が降り、人々をことごとく襲う。そして、その次に世界的な食料不足が発生し、人々は飢餓になり飢えて死んでゆく。そこにまた、突然、大地震が人類を襲う。すべての都市や町は崩壊し、津波が人々を襲い、もはや手の付けようのない惨事となる。日本も新型コロナウイルスで苦しんでいる時に、また巨大台風や大雨や南海トラフ大地震が襲う可能性がある。そう、人類の罪によって築き上げてきた驕りの富の世界は遂に報いを刈り取る時が来たのである。そう、人類の神を知らないし、知ろうともしなかった故の、日頃の罪深い行い、すなわち淫行や姦淫や貪欲な商業主義や犯罪や悪行、過度の飲酒や乱行や淫らな行い、浮かれ騒ぎや性的倒錯行為、お金に対する貪欲さやいじめや暴力や不正行為の数々を神はご覧になられたのである。このように、すべての人々に平等に大患難が訪れる時、救われるか、救われないか、は個人レベルで差が出る。すなわち、これまで行ってきた日常の生活態度の積み重ねの結果を刈り取るのである。よって、それまで災難の日のために日頃から準備し、真面目に清く正しく生活してきた者はその災厄から辛うじて生き残ることができる。しかし、いつか来る災難の日のために何の準備もせず、快楽の限りを尽くして遊びほうけてきた者はすべて息絶えるであろう。人々は人類社会で上の立場にある権威者や指導者や政治家に救いを求めるが、それは何のこうも奏さない。人の子に救いはないのである。彼らもまた、愚かであり、あらゆる不正行為にまみれており、全く無力であることを自らが悟るであろう。そう、まさに神を信じてきた者と、神を信じてこなかった者との相違を見るのである。まさにその時、その個人の行いに従って人々は勝ち組と負け組にきっぱりと別れるのである。まさに聖書にこう書かれてある。旧約聖書、マラキ書3章18節、[そしてあなた方は必ず、義なる者と邪悪な者、神に仕える者と仕えなかった者との相違を再び見るであろう。]
今日の格言
神の別名は謙遜である。謙遜こそ無限で膨大な力となり得るのである。どんな複雑さも謙遜の前には単純であり、どんな力も謙遜の前では無力であり、どんな困難でも謙遜の前では容易である。またどんな悪事でも謙遜の前では良いことであり、どんな善良さも謙遜の前では悪事である。また謙遜の前ではどんな立派で偉大な神々であっても、単なる人である。
今日の格言
神学序説
神の存在を抜きにして、科学者たちはこの万物の根本的存在とは何か、と日々、明らかにしようと努めている。しかし、それは決して答えの出る事のない、終わる事のない無駄な作業である。例えて言えば、この人間社会を本当に正しく守れるのは誰か、と問う事と同じである。それは警察官であると人は考えるかもしれない。しかし、警察官も一皮むけば、ただの人である。この世には警察官の犯した誤認逮捕や、不正行為や、賄賂行為などの犯罪は後を絶たない。すると、ある人は言うだろう。警察を取り締まる警察を作ればいいと。しかし、もしそうしたとしても、警察を取り締まる警察もまたいずれ違反行為を犯すであろう。そして、人は無限に警察を取り締まる警察のさらにまた警察を考えざるを得ない。そう、これは決して解決する事の出来ないねずみ講、もしくはイタチごっこに過ぎないのである。要するに、神を認めない科学者たちも同じような間違いを犯しているのである。もし、彼らは、ある万物の究極の存在を発見したとしても、それによって、さらにまた、別の問題を発見し、また、そのための解決策の理論を提唱しても、その代わりにまた別の問題が現れるのである。どうであろう、どちらも同じような事ではないだろうか。すなわち、結論として、万物の究極的存在であり、根本的存在である神の存在を認めずして、物事の究極的、絶対的なものとは何かを追い求めようする考え方自体が既に論点からずれており、間違っているのである。
今日の格言
時間論
時間は循環している。要するに、最近の現在(小現在)の状態の原因は、最近の過去(小過去)にあるが、未来を無限にさかのぼって行くと、遥か過去(大過去)の原因は遥か未来(大未来)にあるのである。よって大過去と大未来は互いに等しい。なぜなら、どちらも分からないからである。すなわち、あなたは直近の親から生まれたのであるが、あなたの直近の親の親のそのまた親はずっと過去を辿って行くと、彼らの親は、子である大未来の現在のあなたになるのである。よく我々は初めて行った所なのに、なぜか懐かしく感じる、デジャブを経験するけれども、それは時間が循環しているから、成り立つ事なのである。
今日の格言
新貨幣論
同じお金でも、真っ当に働いて苦しんで生んだお金と、投資や株でまともに働きもせずに楽をして得たお金とは、その値打ちは格段に異なる。前者が良貨だとすれば、後者は悪貨である。すなわち、社会経済をまともに支えているのは、安い給料を必死な思いで稼いでいる貧困層の人々であり、それにあぐらをかいているのは、富裕層の人々である。よって、富裕層の人々がお金を得れば得るほど、お金全体の値打ちは下がっていき、遂にはデフレーションやインフレーションになる。すなわち、社会経済の崩壊を招くのである。すなわち、悪貨が良貨を駆逐するのである。そして最後には富裕層の人々も崩壊するのである。なぜなら、いくらお金を出しても、誰も働く者がいなくなるからである。
今日の格言
時間論
時間とは長さの事ではなく、深さの事である。しかし普通は時間の経つことを時間が長いとは言っても、時間が深いとは言わない。しかし、我々は経験的に、ただ漠然と時間が過ぎていくのを待っているよりも、いろんな出来事やハプニングを経験したり、物事を深く考えているうちに随分と時間が経ったものだ、とか、時間が過ぎるのが速く感じるのではないだろうか。すなわち時間とは物理的時間と心理的時間の2種類があるという事である。物理的時間とは単なる時計の針が動く時間の速さの事である。しかし心理的時間とは、時間が経つのを意識して待っていると時間は遅く流れるのである。例えば、仕事の帰宅時間が夕方の5時であるとすると、あなたが5時になる30分前に今日1日の仕事を終えたとする。それで帰宅できる5時までの30分間、時間が空くのだが、早く5時にならないかと待っている時は随分と時間が経つのが遅く感じるのではないだろうか。そう、心理的時間に従えば、時間が経つのを意識した場合、時間の長さは伸びるのである。すなわち時間が経つのが遅くなるのである。しかし逆に作業をしていて仕事に没頭し、時間が経つのを忘れて集中している時は、時間が経つのが早く感じるのではないだろうか。そう、心理的時間に従えば、時間が経つのを意識していない場合、時間の長さは縮むのである。すなわち時間の経つのが速くなるのである。よって横の長さをXとし、縦の長さをYとする。それで時間の経つのを意識すると、横の長さXはなだらかに推移し、縦の長さYは浅くなる。しかし、時間が経つのを意識しないで何かに熱中していると、横の長さXは短くなり、その分、縦の長さYは深くなるのである。そして物理的時間とは、横の長さXの事だから、例えば、時間が30分経つのを意識すると、物理的時間の横軸Xの長さは文字通りの30分になる。この時、心理的時間Yは0分である。しかし、作業をしていて、時間が30分経つのを意識しないでいると、物理的時間である横軸Xの長さは15分間に短縮され、残りの15分は心理的時間である縦軸Yの深さ15分に消費される。よって、実際には本当は30分経っているのに、物理的時間は15分とカウントされてしまうから、その分時間が速く経った事になるのである。
今日の格言
数学論(幾何学)
2次元の本質
2次元、すなわち、平面の本質は何であるかと言うと、それは対角線上に位置する2つの点の事である。なぜなら、カレンダーなり、平面上の紙切れを壁に貼るときに最低限必要なものは、2つの押しピンであり、かつそれを安定して固定させるには、その2つの押しピンの位置を共に対角線上におかなければならないからである。従って、2次元平面の公理とは、対角線上に位置する2つの点である。
心理学
激しい愛の情感は、激しい憎しみの感情と表裏一体である。
今日の格言
神学序説
新約聖書、使徒言行録20章35節 、使徒パウロの言葉 、( わたしは、このように労苦して弱い者達を援助しなければならないこと、また、主イエスご自身の言われた[受けるより与えるほうが幸福である]との言葉を覚えておかなければならないことを、すべての点であなた方に示したのです。)
(解説)
[受けるより与えることの方が幸福である]という聖書に書かれている真の意味を知っているだろうか。人々は盛んに友人や知人に贈り物をし、与えたり貰ったりしているが、与えることの真の意味であり、かつ最大の贈り物とは何か。それは常に謙遜に振る舞う態度を相手に与える事である。これは常に相手を高めて、自分を低くするという事である。なぜ、これが最大の贈り物であるかと言うと、この世で最も難しい事が、謙遜になる事だからである。まさに聖書にこう書かれてある。新約聖書、使徒パウロによる、フィリピ人への手紙2章3節、(何事も闘争心や自己本位の気持ちからするのではなく、むしろ、他の人が自分より上であると考えてへりくだった思いを持ちなさい。そこには平安があるからである。)