高田義裕の人生論

今日の格言

傲慢さ、誇りは頭がボケる事に対して前座を据える役目をすること。よって真に頭が良い人は驕ったり、誇ったりすること無く、常に頭を回転させているから、むしろ驕る暇など無いこと。

2.人は皆、他の人を計るその計りで自分をも計っているのである。要するに誰にも不公平は無く、私達は自分達の行う業の報いを既に全部受けているのである。

3.神を知らない人々の様に、自分の働きと行いに対する報いを自分で求め、かつ自分の力で得ようとしてはならない。すべて自分に対する称賛や報いは私達自身のものでは無く、エホバ神のものであり、各自の報いはすべてエホバ神から与えられるという事を認識しておかなければならないのである。

高田義裕の人生論

今日の格言

我々は自分達の労働力をいわば商品として売る。すなわち自分の頭や体を提供する事によって会社や雇い主から賃金を得るのである。しかし芸能人や俳優という部類の人達は自分自身という人間自体を商品として売り、ファンや支持者を獲得している。これは相当に大変な仕事である。常に服装も身なりも洗練さが要求されるし、自分の生き方も常にファンや支持者達の模範となる様に日々研鑽努力しなければならない。これはいわゆる聖書で言えば、アイドルであり、偶像である。すなわち彼らは皆神々の1人であり、ファンや支持者達は彼らを崇め尊敬する事によって彼らを偶像崇拝しているのである。だから偶像の対象であるスター達は自分自身というブランドの価値を高め、それを常に魅力的なものとして維持する為に並みの人間よりはるかに厳しい生活を強いられる。彼らは自分のする事の一挙一動をすべての人から注目されているのだから、その大多数からの視線という物凄いプレッシャーを1人で背負わなければならない。そう、言い訳や逃げなど一切許されないのだ。また彼らに一様として見られるのは全員ナルシスト(自己愛主義者)である事である。かと言って、昔ながらの悪い意味でのナルシストでは無く、努力するナルシストなのである。彼らは自分の理想とする人物像に出来るだけ近づくため、常に自分を追い込み、怠惰さを許さず、自分自身というブランドを維持し向上するために必死に戦っているのである。日本人にも今私が注目している気骨でたくましい2人のアーティストがいる。それはGACKTさんとローランドさんである。彼らは今の世代にあって自分という存在にプライドを持ち、いわゆるカッコいい路線を貫いている、今では貴重な存在となった人である。今の芸能界はお笑いタレントばかりで溢れており、たとえ失敗してもジョークで笑いを取ればいいという楽な生き方をしている。それに対してGACKTさんやローランドさんは一度失敗しようものなら自分に恥をさらしてしまい、それをジョークで笑い跳ばせは良いという楽な立ち位置にいない。彼らに失敗や醜態は許されないのだ。なぜなら彼らはお笑い芸人では無く、かっこいいキャラクターで自分を売り出しているからだ。この様な最近としては珍しくなってしまったこのお二人に敬意を表したい。彼らの人生哲学は現在本となって出版されている。GACKTさんは[GACKTの勝ち方]サンクチュアリ出版、ローランドさんは[俺か、俺以外か、ローランドの生き方]株式会社KADOKAWAである。ぜひ一読をお勧めする。今の時代には珍しい自分に対して厳しく生きている彼らをぜひ応援してやって欲しい。

高田義裕の人生論

今日の格言

自分を相手と比べて自慢しないなら、相手もまた自分と比べて自慢したりしないのである。

2.神の目から見て、これは必要無いと言える者は何一つ存在しないこと。あなたがたとえ親から望まれずに生まれてきた人間であっても、神にとってあなたは既に知られており、貴重な存在なのである。

3.自分自身が実際にはいかなる者なのか絶えず吟味する事を心がける事に集中しているなら、あなたは自分の考えや行いが誤った方向に進む事は決して無いのである。

 

 

高田義裕の人生論

今日の格言

誰からも嫌われない人生なんてあり得ない。人からまだ1人も嫌われていない人は、まだ人生すら始まっていない人だ。人間、何か1つの事に真剣に取り組めば、必ず敵が現れる。嫌われて当然なのだ。誰からも嫌われていない人は、誰かを真剣に愛したり、憎んだりした事がないのである。そう、誰からも嫌われていない人は、半分眠って生きているのか、死んでいるのかわからない人生を過ごしている存在感の無い人なのである。

2.    階級社会

ある人が犯罪を犯した。するとネット上では誹謗中傷の嵐が起こって、みんなでその犯罪者を口汚く罵った。確かに彼は悪い事をした。それは裁かれて当然である。しかし世の中の大多数の人間が1人の人をいくら悪いからといって、さも自分達は上であるかの様に、口で袋叩きにするのも一種異常な気がするのである。これは人間社会がもはや階級社会になっている事の証しである。彼は幼少の頃から貧しく育った。そのため心の中に闇が鬱積し、反社会的な人物に成らざるを得なかったのである。誹謗中傷する側も日頃の奴隷的労働によるストレス解消のために口汚く罵ったに過ぎない。要するに犯罪者も傍観者も階級社会の底辺にいる人達ばかりである。弱い者が弱い者いじめをし、強者も弱い者をいじめる。すなわち誰もがこのヒエラルキー社会の犠牲者なのだ。上層部に位置する人間はそれを見て冷ややかに冷笑している事であろう。言っておくが、犯罪者をいじめても何の解決にもならない。犯罪者はますます世の中を憎み、社会を憎み、その行動はエスカレートするであろう。正すべきはこの階級社会という巨悪なのだ。決して個人にでは無い。しかしこのヒエラルキー社会を生み出している根源は人間の誇りである。自分は人より上になりたい、人より有利な立場でいたい、という欲望がある限り、階級社会は無くならない。階級社会を唯一壊す事が出来るのは、上下関係や身分などを度外視した互いに分け隔て無く接する愛しかない。よって愛は何かの業績を自分1人の手柄とはしない。愛はすべて互いに協力し、チームワークによりみんなで力を合わせて物事を成し遂げる。そして成し遂げた暁には個人を賞賛するのでは決して無く、みんなの少しずつ出し合ったみんなの力のおかげだね、とみんなで賞賛を分かち合うのである。

高田義裕の人生論

今日の格言

周りには自分の価値観と違う嫌いな人ばかりいる、と悩んでいる者よ。あなたは努力して自分のなりたい自分になれ。そうすれば同じ価値観の者達が集まって来るのである。常に類は友を呼ぶ、のである。

2.     (題名)     自分のしたい事をして稼ぐというのは本当か。

自分のしたい事をして稼ぐというのは本当の事か。社会に出て、まだ何も経験していない若者が自分のしたい事なんかわかるだろうか。私は分からなかった。おそらくみんな自分の向いてる事とかやりたいことなんてわからないと思う。自分のしたい事を幼い時から分かっている人間なんてほんの一部だと思う。ある人がいた。彼は学生の頃から親から何でもいいから勉強して有名な難関大学を卒業すれば一流企業に就職出来ると喝破され、とことん勉強して念願叶って一流会社に就職出来た。そして入社してからも熱心に仕事をして昇格し部長にもなった。しかし彼の仕事は非常に大変な仕事で毎日が残業の繰り返しで過労になり、倒れた。そのせいで病気になり、会社を退職せざるを得なくなった。彼は2年間療養して体の健康も回復した。それでまた仕事探しを始めた。しかしもう40代後半の彼にとって雇おうとしてくれる一流企業はどこにもなかった。彼はプライドを傷付けられながらも、ようやく誰でも出来る汚くてきつい清掃の仕事に就いた。彼は汚くてきつい清掃の仕事を毎日しながら自分が知らぬ間に社会の底辺にいる事に気付き涙した。しかし気持ちを取り直して清掃の仕事に取り組むうちに、どうすればもっと便所を短時間で綺麗にできるかとか、普通の洗剤では落ちない汚れをどのような薬品を使えば落ちるかとか、日々研究し、実践し、知恵を絞っていった。そのうち清掃業というものの奥の深さを感じる事が出来るようになり、最初はやりたくなかったこの仕事が面白くなっていった。そうなればしめたもので、彼にやる気スイッチが入り、他の誰にも真似出来ない清掃業のプロとなっていた。それで彼は人を雇って小さいながらも清掃業の会社を設立して社長になっている。どうだろう。実際の人生というものはこのように紆余曲折があって、わからないものなのだ。人はとりあえず好き嫌いは別にして何か仕事を始めるべきなのだ。そして働きながら考え続け、自分に今与えられた仕事をとことん工夫を凝らして極められるまで努力するべきだ。そうすれば本当に自分に向いている自分のしたい仕事を自分自身が気付くだろう。要は自分が何に向いているかを考える時間があったら、とにかく何かを実際にやってみる事が大事なのである。

高田義裕の人生論

今日の格言

一人前の大人であるからには、きちんと自分の気持ちと主張を身振りや表情や、はっきりとした言葉でもって明確に相手に伝えられる努力をしてコミュニケーション力を自分のものとしなければならないのである。自分から言わなくても相手の方から自分の気持ちを察してくれるだろう、という子供の依存心的精神でいると、自分の当然の権利すら相手に奪われ、自分を自分に不利な立場に置く事になる。世の中に出たら、誰も自分の気持ちを相手の方からわざわざ知ろうとして探ってくれる親切な人など1人としていないからである。世の中の社会人の常識は、すべて与えられるのを待っているという子供的依存心を卒業して、自分の方から積極的に相手に働きかけていくという自発的精神、すなわち自立精神をもって行動していかなければならないのが当然であり、もしそうしなければ誰も自分の事をいつまで経っても分かってはもらえないのである。欧米人は小さい時からそうするように教育されているので、特に問題は無いが、日本人は以心伝心と言って、自分から言わずとも相手が理解してくれるという甘えの構造がある。また小さい時からコミュニケーション力を培う教育を受けていないから、気持ちが表情に出にくい。すなわち、日本人はポーカーフェイスで何を考えているのかわからないと言われる所以である。

高田義裕の人生論

今日の格言

すべて争いの根本要因は、独りよがりの喜び(独善)から出るのである。

2.エホバ神からの賜物に関して、私達は捨てる程に、余分に与えられているのでは決して無く、ちょうど満ち足りる程に、過不足なく与えられているのである。

3.成功とは次のものである。(最初から期待したとおりの成果が得られること。)すなわち、言い換えれば、最初から期待した以上の成果が得られてもいけないという事である。

4.罪を憎んで人を憎まない。

5.笑っていられない深刻な場合が、一番笑っていられる場合である。

6.生命は進化から生じたのでは無く、生命は愛から生じたのである。

7.エホバ神は、御自身について証しをするものが御自身以外にはいなかったので、御自身が御自身に対して証しされ、御自身が真理である事を証しされた。

高田義裕の人生論

今日の格言

結局、人間が人間の生活をより便利にし、より進歩させるという事の本質は、人が他の誰とも交わらずに家の中にいるだけですべて事足りる様にしてしまうという点において、人々を知らず知らずのうちに孤独に追いやるという事に集中しているのである。便利な事、すなわち電話一本で自分の欲しい物や必要な物を手に入れられること、スマホのインターネットで、外に出ずともチャットで会話し、すべて家の中にいるだけで事足りてしまうのである。これはまるでパソコンのキーボードを打つ時の感覚をどれだけ無くしてキーボードを打てる様にするかという作業に似ている。やっぱり時代がどんなに進んで進歩しても、自分の手でキーボードを打つ手の感覚を味わいながら文章を書くという事は時代を超えて普遍的なものだと思うし、どんなに時代が進歩しても、紙の本の活字を読む事も変わらない普遍的意味を持つものであると思うのである。同様に、人と人とが直に顔と顔を見合わせて会話し、対話する事も時代の変化に関係せず、普遍的な事なのである。むしろ人は人と会話する技術を磨く事で芸術なり、文学なり、文化なりを成熟させ、人生を味わい深いものにしてきたのである。むしろ人間が直に顔と顔を見合わせて会話する事無く、すべて事足りる社会などというものは精神的には異常な状態であり、人間として甚だしく病的で不健康な社会なのである。昨今の現代人の精神的病気の増加は、この人と直に会話する技術がいかに乏しく苦手なものにしている事からすべて起因を発しているものと思われる。

高田義裕の人生論

今日の格言

予知能力とは何か。

予知能力とは何か。誰でも自分に予知能力があったらいいのに、と思うかもしれない。ここで、ある予知能力者がいた。彼はAさんを見て言った。あなたはいつか事故に遭います。するとAさんはびっくりして、具体的にどうなるのか尋ねた。すると予知能力者は、私もはっきりした事は分かりません、と答えた。さあ、ここで予知能力とやらの種明かしが表れたのである。予知能力者はAさんがいつ、どこで、誰と、どの様に、どうなるかを詳細な部分まで詳しく知っていた。しかしAさんに言わなかったのはなぜか。それは一部始終をAさんに教えてしまうと、例えば、それは交通事故で、相手がBさんで、来月の15日に38号線のスーパーマーケットの交差点で朝11時30分に起こるとAさんに伝えてしまえば、Aさんはその情報を基にしてその交通事故が起こる前にBさんを探し出し、事の全容をBさんに伝えてお互いに申し合わせをして、その交通事故が起きない様に回避出来てしまうからである。すると予知は予知でなくなってしまうのである。これを全世界の人々に当てはめてみると、神がすべての人間が将来どうなるかを事細かく予言したとしよう。すると全人類はその神の言った情報を基にしてお互いにその事柄が生じる前に申し合わせをして神の言った通りにはならない様に出来るのである。すなわち予言能力とは、すべての情報を知らせない事によって初めて成り立つ不完全な能力の事と言える。すなわちすべての情報の中のほんの一部分を抜き出して提示させ、それが起こると言わなければならないのである。それだったら予知能力者が予知出来る内容も断片的なものでしかないのであり、我々予知能力を持たない、何も知らない普通の人と大して変わらないではないか。予知能力者は少しの断片しか予知出来ない事で予知出来るというジレンマを抱えているのである。よって予知能力者よりも我々の方がよく知っている分野もあるから、予知能力者も普通の人も何も変わらないのである。よって人は自分に予知能力があったらいいのに、と思う必要性など何もないのである。

高田義裕の人生論

今日の格言

世界の終焉

世界と終末は刻々と近づいている。人間社会の活動によって地球環境は破壊され、生態系は破壊されている。そこからここへと地震が発生しており、世界規模で自然災害が多発している。このまま行くと、地球は人類の住めない程にまで汚染されるであろう。それではなぜ神は未だにこの世界を滅ぼされないか。それは神にとってこの世界を滅ぼす事はいともたやすい事だからである。地球は神にとって手のひらの上に転がる丸い玉の様であり、神の人差し指に一滴のつゆ玉を付けてその小さな丸い玉に一滴垂らすなら、それで世界は簡単に滅んでしまうのである。この様に人類が滅びるのはたやすいが、人類を救うのは難しい事だからである。よって神はその辛抱さの限りを尽くし、全人類が神の前に悔い改めて救われる事を待っておられるのである。