今日の箴言
宗教は精神的なアヘン(麻薬)であり、その中でもカルト(自閉的盲信性)宗団が、その特質を引き出すものである。この世の中に、命ほど大切なものなど無いにもかかわらず、また、この世の中に、何ものをも犠牲にしてでも守るべき絶対的なものなど無いにもかかわらず、ある一つの事を絶対的なものであると思い込み、命や、あらゆるすべてのものを犠牲にしてでも、その考えや信条などを守ろうとする様になってしまった人の心の状態を[洗脳を完了した]と言う。マインドコントロールの典型的な性質は、まず第一に、それを信じている人間がもし、その信じている内容が、全くの誤りである事が判明した時に、もはや自殺するしかないと思うしか無かったとしたら、それはその対象物が、その人に対して[カルト的に作用した]と言う。もはや、その様な時は、その内容に関係無く、その人にとって、その対象が無ければ、一時も自分を支えられない様な、奴隷的、強制的で、不自然な心の麻薬として完全に捕らえられてしまっているという事である。ここにまで病状が進んでしまった場合、本人を元に戻すのは容易な事では無い。(中毒状態)。ここがカルト宗団の恐るべきところであり、常にそれは、外面では無く、見えない内面に、最初は全く害の無いように入り込み、徐々に本人の無自覚なままに、じわじわと効いてくるボディブローの様にその心に染み込んで行き、遂には人格の破壊をもたらすものである。ここで注意すべき事は、見た目にはカルトは決して無害なもので、有害なものでは無く、むしろ非常に論理正しく、誰にでも容易に理解できる、人を惹きつける力があるという事である。その精神的快感の内容を述べると、まず、自分達は一番の唯一正しい事を行っているという優越感に浸っており、この歪んだエリート思考が、中毒になるまで止められないほどに、心に快感を感じてしまっているのである。よって、彼らの悦びや義は、すべてよこしまであり、非常に部分的で、一般人には通用しない、非常に小さな世界感であり、全体から見れば、はっきりと分かるくらい偏っているはずである。ただ、もし、その信じている対象が誤りであると判明した場合、その本人が本当にすんなりとそれを止められたと、自分自身を客観的に判断出来る様になった時、もはやその対象はその人に対して[カルト的に作用していない]という事である。その時初めて、本人は精神的中毒状態から解脱したという事になる。
