今日の箴言
実際には、物事をある事において、はっきりと断言したり、きっぱりと決定するという事は、それだけで、一種のエネルギーや良いものを減らしたり、スポイルしたりするマイナス行為の事なのである。要するに、人間は常にはっきりとした結論や答えを探し求めている者だが、およそこの世界に答えのはっきりした解決方法など、天地創造の初めから、決して無いのである。それは、量子力学においても、電子の位置を正確に知ろうとすると、その電子の速度が曖昧になり、逆に電子の速度を正確に知ろうとすると、その電子の位置が曖昧になる事と同じなのである。すなわち、物事の性質を正確に知ろうとすると、その物事の存在性は曖昧になり、逆に物事の存在性を明らかにしようとすると、その物事の意味が不明瞭なものになるのである。
2.キリスト教神学序説
神が、最初の人間アダムとエバに善悪の知識の実を食するな、と言われた神の命令と、神が最後の人間アダムであるイエスキリストの血を飲み、その肉を食せよ、言われた神の命令は意味上の点で一致すること。
3.イエスキリストが杭の元での死から復活された際、使徒ペテロに3度ご自身を愛しているかを尋ねられたのは、決してペテロを信頼していなかった訳では無い。あくまでも、それ以前に、ペテロが敵に対して3度イエスの事を否認させられた事に対する帳消しの言葉であり、ペテロに対する愛故に、ペテロ自身にそれを確認させ、弁明させる行為だったのである。
4.善も悪も、本来、神の公正で全き規準というバランスの取れた真理というものからすれば、元々は存在しなかった、真理から遠く離れたバランスの取れていない両極端な偏りでしか無いこと。