高田義裕の人生論

今日の箴言

私が聖書を幾らか学ばせてもらって、初めて分かった自分の間違いは、自分は他の人よりも自分がより義に勝っていたい、というよこしまな差別意識を人に要求していたと言う事である。よって、常に、人の為に義があるのに、義の為に人があるというふうな本末転倒に陥っていたと言う事である。すなわち、より良い人生を送る為に義があるのに、いつの間にか義を行う事を目的にしてしまっていたと言う事である。これは、まるで、人が生活する為にお金を稼ぐのに、いつの間にかお金を稼ぐのが目的になってしまっている事と同じ事である。これでは、いずれ行き詰まるはずである。聖書を読んだ事によって、深く考えさせられ、この事を気付かせて下さった神に全く感謝したい。私はいつの間にか、本当の義から離れ、中身の無い、義のセレモニーに自己満足するという、全くの偽善に傾いていたのである。聖書に初めから書かれてある通り、人は義を追い求めるのでは無く、人は人と互いに愛し合う事を目標にして行かなければならないのである。そこには、互いの身分がどうのという差別意識は全くの招かざる客なのである。

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