今日の箴言
神と悪魔の対話
悪魔は言った。すべての者は私より下である。
神は言われた。すべての者は私より上である。
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今日の箴言
神と悪魔の対話
悪魔は言った。すべての者は私より下である。
神は言われた。すべての者は私より上である。
今日の箴言
一つの物事には、一つだけの解釈があるのではない。無限の解釈の仕方がある。例えで考えて見よう。ある温泉街に毎年花火大会がある。その日には大勢の見物客が訪れるが、近くに有料駐車場があり、車一台につき500円を徴収している。ほとんどの車は花火が始まる前に駐車場に到着しており、30分の花火大会を十分に楽しんだが、ある少数の車だけは、花火が終わる5分前に到着した。それでも彼らは同じ500円を徴収された。これに対してある人は言った。彼らは五分間しか花火を見れなかったのに、それでも、500円を徴収された。これは不公平ではないか。彼らには無料にしてあげれば良かったのに、なんと欲張りなのだろうと。しかし、また別のある人が言った。イヤイヤ、駐車場は決して欲張りでもなんでもない。花火が終わるぎりぎりに到着したのは、あくまで彼らの都合上のことなのであって、駐車場が同じ500円を徴収するのは当然であり、公平なことなのだと。このように、同じ事柄に対しても、全く逆の解釈の仕方ができるのである。この世は、そのようなことで満ちている非常に複雑で、かつ、多様性に満ちた世界なのである。
今日の箴言
人工生命を造ると人は言うが、造るという時点でそれは生命ではない。なぜなら、生命が存在するのに材料は必要ないからである。そう、生命とは、何もないことだからである。生命が生じるといったこともない。生命は存在するということでもない。ましてや、生命を造るといったことでもないのである。あくまでも、何もないことが、生命そのものなのである。
今日の箴言
あなたの敵は常にあなたしかいない。他の誰もあなたの敵ではない。なぜなら、すべての人はあなた自身とは全く別の他の人だから。しかし、あなたは言う。彼の言動に腹が立ったから、私は彼に敵意を示したのだと。それは違う。それは彼の態度を腹が立つと判断した自分がそこにいるからである。勝手に腹を立てたのは自分なのである。見方を変えて腹を立てない態度を取ることも、自分自身次第である。誰もあなたを腹ただせてはいないし、そう出来る力もないのである。また、別の言い方もできる。彼の態度が腹立たしいと思ったのは、彼があなたの発している態度や雰囲気にただ、素直に反応しただけであると。他の人は自分の鏡なのである。自分は全くそんなつもりは無くても、あなた自身が無意識にまた、無自覚に相手に嫌悪感を抱かせるようなメッセージを体全体から発しているのである。故に、他の人の自分に対する反応も自分自身にあるということである。
今日の箴言
正しくなろうとすることは、悪いことである。なぜなら、古今東西、すべてのものを悪くする原因が、正しくなろうとする欲望にあるからである。これはすべて、悪いことを行なった人間の発した動機が、自分は正しいことをやった、とか、本人自身が悪いことをした、という自覚が全くないことによっても裏付けされる。すなわち、正しいことを追い求めるのではなく、ただ、悪くならないようにしさえすればそれで善いのである。正しさを追い求める原因は、自分の欠点を正当化できる一番手っ取り早い方法だからである。大事なことは、自分の弱点を正当化せず、それにまともに向き合い、必死にそれと格闘し、それを克服することにあるのである。それこそ、初めて正しいことなのである。
今日の箴言
新倫理学叙説
6.どんな分野であれ、今の状態を現状維持していくためには、常に前に出て、常に新しいものを生み出すことをしてゆかねばならない。
7.人間は誰であれ、自分の蒔いた分を必ず刈り取ることになる。悪いものを蒔いた者は必ず、自分に悪い報いを受け、善いもの蒔いた者は、必ず善い報いを受けるのである。
今日の箴言
新倫理学
万物はどれも皆、倫理によって益を得、倫理によって苦しむ。すべては倫理に従って組織されており、倫理から離れて存続できるものは一つも無い。すなわち、倫理的問題は常に倫理的に解決されなければならないのであり、倫理的問題に代替えは無い。
倫理の公理(大前提)
1.すべて労し、産みの苦しみを経てのみ、利益がもたらされるということ。
2.どんなものも、時間が経つほど、その価値は下がっていくこと。
3.楽することは出来ない。すべて働いた分だけしか得られないこと。(等価交換)
4.もし、楽をするなら、その二倍の苦しみが待っていること。
5.物事を安定した状態に保つためには、常にその二倍の努力を必要とすること。すなわち、現状維持にただ終始していると、最後にはすべて立ち行かなくなること。
今日の箴言
すべてが正しけれさえすれば、それで善いと思っていないか。実はそうではない。悪いことも必要なのである。物事が正しいことばかりであったら、物事は悪い方向に向かうのである。正しいとは、正しいことが正しい分だけあるということをいうのである。また、正しいとは、悪いことが悪い分だけあるということをいうのである。あくまでも、あらゆるすべてのことが存在して、初めて、物事は正しい方向へ向かい、初めて、すべてのことはうまく調和し、万事うまくいくのである。
今日の箴言
旅とは自己回帰の行為である。毎日自分のうちにいると退屈になり、どこか新しいところへ行ってみたくなる。そこで人はいわば、一時的な家出をし、旅に出るのである。しかし、旅が終わりにつく頃、人々は旅の疲れを感じながら家路に着く。すると、必ず人はこう思うのだ。やっぱり自分の家が一番だと。こうして、人は自分に家があることの有り難さを再確認するのである。人生も旅と同じである。若い頃は好奇心に満ち、野心もある。人々はそれぞれの夢への実現を求めて、住み慣れた自分の家族と家を離れる。しかし、年齢と経験を重ねるにつれ、自分の夢はそうそう叶えられないことに気付く。よって、人はここでやっぱり自分の願望を、人との競争を通して無理に押し通そうとするよりも、人と仲良くし、人と人との平和な共存を築いていくことが、一番人間として大事なことだということに気付くのである。
今日の箴言
人間は外見で判断できない。すなわち、私達の周りには意外な人間が意外なことを考えているのである。極論で言うならば、善人のように見える者は、心の中では悪いことを考えており、悪人のように見える者は、心の中では善いことを考えているのである。