高田義裕の人生論

今日の箴言

当たり前を疑うこと、これが知恵の始まりである。この論法で行くと、サタンが神の正当性を疑ったことは正しいことになる。

高田義裕の人生論

今日の箴言

確かに貧乏人は食べることにも困るし、自由もない。なぜならお金を稼ぐのに休まず働かねばならないからである。しかしお金持ちも実は大差ないのである。金持ちはいわゆるカゴの中の鳥のようなものである。すなわち食うには困らないが、自由もない。なぜなら金を儲けるため、大金を投資して大事業を成功させるために常にリスクを抱えながらヒヤヒヤし、金を使う時間もないほど忙しいからである。

高田義裕の人生論

今日の箴言

すべてのことは命に依存している。飲むこと、食べること、楽しむこと、これらは命なくして決して得ることはできない。だから、あなたは金持ちを全くうらやむ必要もないし、決して負け組でもない。なぜならすべての人間が命という代替えのできない宝を既に持っているではないか。例え、金や銀、お金や豪邸、広大な土地、高級車などの資産をみち溢れるほどに持っていても、決してそこから命は生じ得ないからである。そうだ、私達は自分の命とそれを支える最低限の食物と僅かな衣服さえあればそれで十分なのである。

高田義裕の人生論

今日の箴言

真理の黄金律

1.必要なものを必要なときに必要なだけ用意すること。

2.できる時にできる事をできるだけ行うこと。

3.常に最悪を想定し、最善を尽くすこと。

高田義裕の人生論

今日の箴言

あなたは生き方をすべてのものを敵に回して生きていくか、すべてのものを味方につけて生きていくかのどちらかにしなさい。あなたはいつも自分の都合の良いときにだけ味方に成ったり、自分が都合が悪いときにだけ敵に成ったりと中途半端なので一番悪いのである。また、あなたは悪に徹して生きるか、善に徹して生きるかのどちらかにしなさい。あなたはいつも自分の都合の良いときにだけ善に成ったり、自分の都合の悪いときにだけ悪に成ったりと中途半端だから一番悪いのである。すなわち、何事もそれに徹しきれないということが悪の定義なのである。

高田義裕の人生論

今日の箴言

1.どんなに努力しても才能が無ければそれは開花しない。またどれだけ才能があっても努力しなければ開花しない。

2.すべては努力することだ、とよく言われるが、確かにある程度までの努力は必要であるが必要以上の努力は無駄である。人間は生まれながらに天賦の才を与えられている者のみが努力して初めて成功するからである。

高田義裕の人生論

なぜ人間はあらゆる問題を解決できないのか。それはすべて良いところだけを抽出できないことに尽きる。すなわちどんな良いと思える方法を考え出せても、必ず非予測的要素がついて回るからである。すなわち副作用が出るのを防ぎきれないのである。ここで副作用とはどうゆう状況を言うのか具体的に考えてみよう。まず目の前に新聞がある。あなたは自分の読みたい記事の部分だけを切り取るとする。そこまでは良かったのだが、新聞には当然裏側にも記事が書かれてある。それを裏返してみると全く読み取れない文の部分がどうしても出てきてしまう。これこそ副作用の生まれる原因である。よって良いところだけを抽出するということは、新聞で例えるなら表も裏も全く同じ文章が書かれている箇所を切り取ることに相当する。しかしそんなことは到底不可能なことである。それで人間は物事を決して解決できないのである。

高田義裕の人生論

今日の箴言

誰もが生活していくために仕事をしている。仕事をしている人には容易に察しがつくように、仕事とは辛いものである。それには専門的知識と高度な熟練の技がいる。すなわちそれはプロフェショナルであり、その分野でのエキスパートであるわけである。しかし、大半の人は自分はプロフェショナルなレベルにはなれないと感じている。しかしあなたという存在はこの世でただ一つの存在なのではないだろうか。すなわち、自分は自分自身という存在のプロフェショナルなのである。あなたは見事な専門的知識と、高度な熟練の技とをもって自分自身という商品を形作っているではないか。

高田義裕の人生論

今日の箴言

1.何もしないことは失敗することより悪い。

2.その人に不満を抱くということは、それだけ相手に期待を抱いていたことの証拠である。

3.もしどうしても誇れと言われるなら、私は自分が決して誇らないことを誇ります。

高田義裕の人生論

今日の箴言

日本国憲法には基本的人権の尊重としてすべての人間は生まれながらにして自由に生きる権利を持っていると定めている。しかしそれは本当にそうなのであろうか。自由に生きる権利というものは、お金に例えることができよう。お金は一生懸命ひどい思いをしなければ手に入れることは出来ない。決して生まれてきたという理由だけでただで貰えるものではない。ましてや人間が自由に生きていくということは、お金よりも貴重で手に入りにくいものなのである。お金と同様に、いやそれ以上に戦い抜いて初めて勝ち取るものなのである。例えれば、破船した船に10人が乗っているとする。しかし残された食糧はわずかで、もう3人分しかないとする。当然の摂理としてその10人は命をかけてそれを奪い合おうとすることであろう。よって自由もただで与えられているものでは決して無く、激しい生き残りをかけた戦いによって相手から奪い取るものなのである。そうだ、人間は人間を犠牲にして初めて生きていけるのである。