高田義裕の人生論

今日の箴言

新貨幣論

お金持ちは1対1対応ではないことを以前に示した。すなわち、一人の人間が何十億、何百億とお金を持つのがその状態であるから、これを数字で表すと、1対1000000000であったり、1対10000000000であったりするということである。ここで一人の人が一万円しか持っていないのであれば、これは1対1対応であるということができる。ここで1から1を割り算すると、1÷1=1であり一万円は一万円の価値を持つ。しかしここで一人の人が百万円持っているとすると、1対100となり、これを同じく1を100で割ると、1÷100=0.01となり、百万円が100円の価値しかないことになる。そう、一人の人間が多額のお金を持てば持つほど、そのお金の価値は低くなっていくのである。

高田義裕の人生論

今日の箴言

正しいとは何か。それは1対1対応であるということである。すなわち、1に対しては1、2に対しては2、3に対しては3ということである。では間違いとは何か。それは1対1対応ではないことである。すなわち、1に対して2、2に対して3、もしくは3に対して4ということである。これはひどいのになると、1に対して100とか、1に対して10000になるということである。これは引き算をすれば分かるように前者は99個、後者は9999個も余剰分があるということである。これは明らかに異常であり、めいっぱい無理をした状態だと言える。例えれば、2リットルしか入らないレジ袋に無理矢理、5リットル分を入れようとすることに似ている。そんなことをすれば、いずれ袋が裂けてしまうことは目に見えている。言い換えるなら、富むということは甚だしく間違ったことであるということが分かる。

高田義裕の人生論

今日の箴言

およそこの世に楽などしている者は一人としていない。皆自分の仕事や、悩みで問題を抱え、苦しんでいる。例え、百歩譲って、仕事もする必要もなく、何の悩みもない者がいるとしても、それでも彼は決して楽をしてはいない。なぜなら、彼は苦しんでいる者から見ると天国のような生活を送っているとしても、彼自身にそのような自覚はないからである。すなわち、自分の現在の境遇を当たり前のことに感じており、何の感謝もないからである。いや、むしろ今現在の状況に満足しておらず、不満さえ抱いている。そう、すなわち幸福感がないのである。その意味で彼もまた決して楽などしていないのである。

高田義裕の人生論

今日の箴言

神が造られたこの人間という体は実に複雑に、かつ精密に巧みに造られている。それに比べれば、人間の造ったものなどはガラクタに過ぎない。

高田義裕の人生論

今日の箴言

最大は最小に等しい。これは例えれば、自分のことが一番よく分かっているのが自分自身であり、かつ自分のことが一番分かっていないのが自分自身であることと同じである。

高田義裕の人生論

今日の箴言

1.驕り高ぶるよりは惨めなままでいた方が良い。

2.人間とは所詮、分かり合えない生き物なのである。

高田義裕の人生論

今日の箴言

当たり前を疑うこと、これが知恵の始まりである。この論法で行くと、サタンが神の正当性を疑ったことは正しいことになる。

高田義裕の人生論

今日の箴言

確かに貧乏人は食べることにも困るし、自由もない。なぜならお金を稼ぐのに休まず働かねばならないからである。しかしお金持ちも実は大差ないのである。金持ちはいわゆるカゴの中の鳥のようなものである。すなわち食うには困らないが、自由もない。なぜなら金を儲けるため、大金を投資して大事業を成功させるために常にリスクを抱えながらヒヤヒヤし、金を使う時間もないほど忙しいからである。