高田義裕の人生論

今日の箴言

何でも、一人でやらねばならないということは、自分は一人しかいないのに、それだけで、2、3人分の仕事を強いられるということを意味するのであり、これは人にとって本来、割に合わない理不尽で過酷な状況なのである。実際には、ある程度健康な人でも、その人が全くストレスを感じず、健康に生きて行く為には、数だけで言えば、100人のサポートが必要なのである。ましてや、心や体に障害を持った人に対しては、300人以上のサポートが必要とされるのである。それに対して、現実は、残酷以外の何ものでもないのである。要するに、私達がよく耳にする、(自分の身は自分で守るしかない)という教訓は、この世の中で生き残るための事実ではあっても、決して真理でも無ければ、美徳でも決してないということである。しかし、人は、この様に、自ら、避けえない逆境、もしくは、理不尽さに対して、その苦しみから精神的に少しでも楽になるために、それらのことを肯定化、もしくは、神聖化してしまう傾向にあるのである。これは死を美化し、肯定する哲学的思考にも見られるものである。そして更に、その残酷さに追い打ちを駆けるのが、利己的精神であり、それは自分は、一人分で十分なのに、それで満足せず、一人で10人分でも100人分でも持っていることである。この様な事が可能なのは、もちろん最初に述べた貧困層にある人々の、一人で何人分もの仕事を強いられる、あらゆる奴隷労働、過重労働に支えられているからこそ、初めて可能なことなのである。要するに人より何倍も所有している者はその人に全く自覚は無くても、世界中のほとんどを占める奴隷労働に対して加担しているも同然なのである。

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