高田義裕の人生論

今日の箴言

よく人は、人生において苦労しなければならない、と美辞麗句のように言うが、それは、あくまでも、苦労した事の無い人々の間でのみ、通用する概念であって、実際、本当に苦労している人、もしくは、否応なく苦労を強いられている人にとっては、苦労など何の意味も無い余計なものなのである。彼らからしたら、苦労を自慢出来る者など、なんて恵まれていて、人生に対する甘い認識しかない人だろう、としか思われないのである。その人達の心情は、苦労など無かったらどんなに幸福な事であろう、としか思えないのである。

2.聖書の創世記6章13節にある様に、神がこの世の中を滅ぼす十分の理由となったものは、この世の中の地上にいる、すべての人間が、暴虐を愛し、悪人となったからではない。それは、水に塩を入れる際、大量に塩を加えるなら、その塩水は、塩辛くて飲めないが、ほどよい量の塩分を水に加えるなら、それは、スープとして飲めるバランスが満ちた状態と言える。これと同様に、この世の中も、暴虐と悪に染まりきっているわけではなく、善と悪のバランスが、ちょうどいい状態になり、不法が永久に存続出来るほどにまで、安定した状態となる時が、まさに、いつ、滅びが来てもおかしくない条件が整っているということである。よって、現在、いつ、この世の中の滅びが到来してもおかしく無い状況なのである。

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