高田義裕の人生論

今日の箴言

心、すなわち、精神や霊というものは、実際には物質の様に明確な存在や重さや形が無いものであり、その意味においては、実在しないもの、もしくは、実体の無いものと言える。それは神が物質的存在では無い故に、神という存在も、物質世界から見れば、実在しないもの、もしくは、実体の無いものという事が出来る。しかし、およそ、この万物の中で、一番存在が希薄であり、全く柔弱なものである私達人間という霊長類が、存在している事が、霊が存在する確かな証拠なのである。さらに、その霊、すなわち、実態の無い、心というものがすべてを決定し、支配する権利を有している現実も我々は知っている。よって、神に対する信仰とは、ほとんどあり得ないほどに、可能性の低いものに対して確かな希望を持つという事であると言える。なぜなら、人間とは、ある意味で、常に危険なところと、安全なところの境目で駆け引きをして、そのリスクの代価として、命を勝ち得ているからである。すなわち、生きるという事自体が実体の無い、実在しないものなのである。そういう意味においては、命そのものが実在と虚無の間で揺れ動く、実体の不確かな性質のものなのであり、ほとんどあり得ないほどに可能性の低いものに確信を抱くという意味においては、人が生きるとは、信仰そのものなのである。よって人間という存在自体が、肉体という実世界と、霊という実体の無い世界という本来なら決して両立せず、共存する事の出来ないもの同士が一つになって存在しているという、全く奇跡の産物なのである。

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