高田義裕の人生論

今日の箴言

私達は私達自身が私達自身を愛する以上に私達を愛して下さっている神エホバを愛さなければならないのである。

2.以外な事にも、人は正しい事柄を聞かされて自分の誤りを指摘されるよりも、人は自分の話を聞いてくれ、理解してくれる方が遥かに自分の誤りを認め易いのである。

3.人の内から生じる誇る気持ちが、次第にその人自身から外部へ向けての表情の豊かさと表現力とを奪って行くのである。すなわち傲慢な者ほど仏頂面になり、何の表情も表現出来なくなってしまうのである。

4.[生きる]という事は、[永遠の期待]と同一の事である。すなわち、人は永遠に渡って希望を持ち続けるのである。しかし、希望とは約束された事柄がまだ果たされていない状態を示すから、人は永遠に渡ってこれでもう何も要らない、と思う事は無いという事である。

5.何物にも勝って動かないものは人の心なのでは無いだろうか。人は幼い時は、どんな事柄にも驚きと喜びを素直に顔の表情に出していたものだが、いざ成人するといつの間にか、どんな事柄にも驚きと感動と感謝の心が鈍くなってしまって、心を揺さぶられるという事が出来なくなってくる。すなわち、心の柔軟性の無い、心の重い人間になってしまうのである。よってあなた方は常にどんなに些細な事柄でも感動と感謝の念を培い、ぜひ、心の重量の軽い、そして心の柔軟性が水のように変幻自在であり、どんな事に出逢っても機敏に反応する心の良い状態を保つようにしなければならないのである。それが人の老化の進行を鈍くしてくれるものなのである。すなわち、感謝出来る人間と感謝出来ない人間とでは命の寿命が遥かに違ってくるのである。よって、どんな些細な事にも感動出来る心はその人の日常を幸福にし、長生き出来るのに対して、どんな素晴らしい親切を示されても、それに感動も感謝も感じ無い心の重い、心の鈍い者はいつまで経っても不平不満を持ち続ける事で、その人の人生は不幸になり、その命も短命なものとなるのである。

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