高田義裕の人生論

今日の格言

神学序説

神エホバの過分のご親切は、ただ人に対する純粋な憐れみのもとに私達人間に差し出されているのであって、その過分のご親切を当たり前のものと見なし、それに対して、ただあぐらをかこうとする者は、神エホバの純粋な憐れみを裏切っている事になるのである。

2.人間にとって、驕りと傲慢さは永遠の敵なのである。

3.常に一流の人達の述べる感想は、国境を越えるのでは無いだろうか。

4.私達人間を正す事が可能なのは、私達自身では無く、神エホバだけに可能な事なのである。

5.悪魔サタンはこの世の中で、神エホバの栄光が決して漏れない様に、考えられるあらゆる方法でそれを阻止する事にのみ、自分の力の全てを注いでいるのである。

6.私達人間にとって、神エホバは永遠に未知なのである。すなわち、私達人間は神エホバがお造りになったこの物質宇宙を永遠に渡って理解し尽くす事は決して出来ないのである。すなわち言い換えれば、私達人間は永遠に渡って神エホバの創造したものすべてを永遠に探究し続ける事が出来るのである。

7.隣人を愛するという事は、隣人のあらゆる権利とあらゆる所有物とを永遠に侵害しないという事でもあるのである。

8.あらゆる不幸の源は、神エホバに対する全くの故意による反逆から始まった事を常に留意しなければならない。

9.この世の中には、自己啓発と称して、利己的な上昇志向主義を奨励するような書物がどれだけ氾濫している事であろうか。人は常に利他的な謙遜さを推薦する聖書からのみ学ぶべきである。

10.たとえ、人が人に不意によって害を与えてしまう事があっても、それが起こる頻度の確率が高くなる事を見過ごしていれば、それは人が人に故意によって害を加える事に等しい事になること。すなわち、私達人間は常に、人に不意に害を与えかねないどんな小さな要素も見逃さないように注意深くあるべきこと。

11.私達が救われるかどうかは、私達の気まぐれな気持ちによって決まるのでは決して無く、ただ神エホバの意思いかんにかかっているのである。

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