高田義裕の人生論

今日の格言

宗教とは、もしそれが一番正しい、それが唯一の真理であるという確信のもとにそれを信じるというのであれば、それはもはや精神的な強力なアヘンである。この世の中に一番正しいものがあるとか、これが真理である、とか言っている人は、この世の中は皆、正方形で出来ている、正三角形で出来ている、正八面体で出来ていると主張する事と同じである。ではこの世の中はすべてが白か黒かではっきり区別する事が出来、正解が常にある、数学の問題の様に解決出来るほど単純明解なものであろうか。いや、決してそうでは無い。現実世界は、正解というものが見出せない数学の問題の様に単純では無い。そこには、いびつな三角形や歪んだ四角形や大きさの揃っていない多面体ばかりである。そう、簡単にまっすぐな定規で長さや面積を測り出せる様なものでは無いのである。この世の中には、解決しようにも解決出来ない問題で満ちている。人が周りにジャガイモやニンジンや玉ねぎやピーマンや大根やトマトなどの野菜の種類が豊富にあり、いろんな選択肢がある中で、自分があえてトウモロコシを選ぶとしたら、それは本当の本人の意志であり、正しい事である。しかし逆に、世の中全体が飢饉に見舞わられており、トウモロコシしかないのであれば、誰でもトウモロコシを食べるほかない。宗教を信じている人もそうである。自分の宗教が一番正しい、これこそ唯一の真理であると思っている人は、飢饉でトウモロコシを食べるしかない人と似ている。要するにトウモロコシ以外の野菜を知らないだけで、本当に自分の意志でトウモロコシを選んだわけでは無いのである。これは犬と同じである。犬にとっては飼い主がすべてだが、それは飼い主以外の人間を知らないから飼い主に従っているだけである。では、その飼い主は一番正しく、真理であり、神か。決してそうでは無い。その飼い主はたくさんいる人間の1人にしか過ぎないのである。すなわち、それは絶対的なものでは無い。それはあくまでも相対的なものである。よって結論として、それが一番正しいから、それが唯一の真理だから、それを信じるという動機づけは間違っているという事である。なぜなら、それは食べる野菜はトウモロコシしか無いと言っている事と同じであるからである。

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