高田義裕の人生論

今日の格言

人間関係は逆説的ではあるが、一回腹を割った喧嘩をしなければ、本当に心を許せる仲間にはなれない。喧嘩とは暴力の事ではない。確かに喧嘩に暴力は付き物であるが、暴力=喧嘩では無い。喧嘩=本気と本気の真正面からのぶつかり合いである。暴力とは常に邪悪である。すなわち、それは互いの正面攻撃という形を取らない。暴力はいつもテロリズムであり、一方的な押し付けであり、正々堂々とした正面攻撃では無く、相手の隙を突く卑劣で卑怯な形を取る。そこに公平さは無いのだ。しかし大人の喧嘩は互いの全力を真正面から堂々と掲げて戦う真の男と男のアイデンティティのぶつかり合いなのだ。そこには常に純粋な男気と言うフェアー精神がある。だからこそ、戦った後でも仲良くなれるのだ。しかし現代社会は陰湿ないじめや、奇襲攻撃的な、最初から相手を殺すだけの目的で行われる残虐なものとなっている。そこには話し合いや対話というものを真っ向から否定してただ殺しあうという図式しか無い。これはもう喧嘩ではない。殺人行為そのものである。この世の中に純粋な喧嘩が無くなってきているという事は、互いの人間関係も希薄で薄っぺらいその場限りの表面的なものでしか無くなってきている証拠でもある。一度自分に問いただして見ると良い。自分には本当に心を許せる仲間がいるかという事を。

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