高田義裕の人生論

今日の格言

人間は他の人と自分をどうしても比べてしまう傾向にあるが、実は人と人同志は互いに比べる事は出来ない。例えばあなたがAさんだとして、相手のBさんと比べて、自分よりBさんの方が能力がある事に気付いて、自分はBさんより劣っていると考え、劣等感を抱いたり、妬んだりする必要は全く無い。なぜならライオンとゾウはどちらが優れているかなどと比べられるだろうか。それはナンセンスである。なぜならライオンとゾウは全く別の生き物だからである。また、ジャガイモとニンジンはどちらが優れているかなどと考えるだろうか。普通は考えない。なぜならジャガイモとニンジンは別の野菜だからである。ジャガイモにはニンジンには無い良さがあるし、ニンジンもジャガイモには無い良さがあるのである。要するに、人間とは同じ姿や形をしていても個人一人一人は全く別の生き物なのである。よってAさんにはBさんには無い良いところがあるし、BさんにはAさんには無い良いところがあるのである。もし、Aさんという身体的にも精神的にも全く同じ条件のクローン人間を造って競わせるのであれば、それは比べられるかもしれないが、お互いに性格も人格も違う人と人同志を比べてもそれは意味を成さないのである。

 

高田義裕の人生論

今日の格言

この世の中にはすべて揃っている人など1人もいない。けれども私達人間は他の人のいいところだけを見て、それを羨ましいと思って妬んでいる。例えば、ある大金持ちを見て、人は自分も彼の様に大金持ちになりたいと思うかもしれないが、確かに彼は大金持ちかもしれないけれども、実は子供に恵まれず、自分の老後が不安で夜も眠れなかったりする。また、人々から絶大な人気のあるスター俳優を見て、自分もああなりたいと思うかもしれないが、そのスター俳優は、すごく貧しい国に生まれ、自分の親から奴隷として売られ、その連れて行かれた国でたいそう苦労してたまたま現実の地位に収まる事が出来た。すなわち彼は親からの愛情を受けて来なかったから、非常に愛に飢えており、実は鬱病を抱えている。また異性から羨望のまなざしで見られるほど大変美しい女性がいるが、実は幼少の頃、自分の叔父から性的虐待を受けており、大の男嫌いだったりする。また頭脳明晰で芸術や数学の分野で活躍している、ある事にずば抜けて才能がある人でも、実は発達障害という人格障害を抱えていたりする。また性格的にとても頼りになり、たくましい人でも、普段は暴力的で粗暴だったりするし、また、とても気の優しい人でも、とても内気で対人恐怖症であったりする。また、とても優秀で仕事が出来ても、同僚からは嫌われる性格の悪い人であったりする。この様に隣の芝生は青く見えるけれども、実は人とは大差無いのであって、他の人の事を羨ましいと思っているあなたこそが、他の人から羨ましいと思われているかもしれないのである。

高田義裕の人生論

今日の格言

神エホバの下には何ものも権限は無いのである。

2.自分の義を追い求めている者は、自分の栄光を求めている。しかし、神エホバの義を追い求めている者は自分の栄光を求めてはいない者であり、その者は真実な者である。

3.本物とは、常に自分が本物とは自らが自称しない者である。

高田義裕の人生論

今日の格言

宗教とは、もしそれが一番正しい、それが唯一の真理であるという確信のもとにそれを信じるというのであれば、それはもはや精神的な強力なアヘンである。この世の中に一番正しいものがあるとか、これが真理である、とか言っている人は、この世の中は皆、正方形で出来ている、正三角形で出来ている、正八面体で出来ていると主張する事と同じである。ではこの世の中はすべてが白か黒かではっきり区別する事が出来、正解が常にある、数学の問題の様に解決出来るほど単純明解なものであろうか。いや、決してそうでは無い。現実世界は、正解というものが見出せない数学の問題の様に単純では無い。そこには、いびつな三角形や歪んだ四角形や大きさの揃っていない多面体ばかりである。そう、簡単にまっすぐな定規で長さや面積を測り出せる様なものでは無いのである。この世の中には、解決しようにも解決出来ない問題で満ちている。人が周りにジャガイモやニンジンや玉ねぎやピーマンや大根やトマトなどの野菜の種類が豊富にあり、いろんな選択肢がある中で、自分があえてトウモロコシを選ぶとしたら、それは本当の本人の意志であり、正しい事である。しかし逆に、世の中全体が飢饉に見舞わられており、トウモロコシしかないのであれば、誰でもトウモロコシを食べるほかない。宗教を信じている人もそうである。自分の宗教が一番正しい、これこそ唯一の真理であると思っている人は、飢饉でトウモロコシを食べるしかない人と似ている。要するにトウモロコシ以外の野菜を知らないだけで、本当に自分の意志でトウモロコシを選んだわけでは無いのである。これは犬と同じである。犬にとっては飼い主がすべてだが、それは飼い主以外の人間を知らないから飼い主に従っているだけである。では、その飼い主は一番正しく、真理であり、神か。決してそうでは無い。その飼い主はたくさんいる人間の1人にしか過ぎないのである。すなわち、それは絶対的なものでは無い。それはあくまでも相対的なものである。よって結論として、それが一番正しいから、それが唯一の真理だから、それを信じるという動機づけは間違っているという事である。なぜなら、それは食べる野菜はトウモロコシしか無いと言っている事と同じであるからである。