高田義裕の人生論

今日の格言

誰からも嫌われない人生なんてあり得ない。人からまだ1人も嫌われていない人は、まだ人生すら始まっていない人だ。人間、何か1つの事に真剣に取り組めば、必ず敵が現れる。嫌われて当然なのだ。誰からも嫌われていない人は、誰かを真剣に愛したり、憎んだりした事がないのである。そう、誰からも嫌われていない人は、半分眠って生きているのか、死んでいるのかわからない人生を過ごしている存在感の無い人なのである。

2.    階級社会

ある人が犯罪を犯した。するとネット上では誹謗中傷の嵐が起こって、みんなでその犯罪者を口汚く罵った。確かに彼は悪い事をした。それは裁かれて当然である。しかし世の中の大多数の人間が1人の人をいくら悪いからといって、さも自分達は上であるかの様に、口で袋叩きにするのも一種異常な気がするのである。これは人間社会がもはや階級社会になっている事の証しである。彼は幼少の頃から貧しく育った。そのため心の中に闇が鬱積し、反社会的な人物に成らざるを得なかったのである。誹謗中傷する側も日頃の奴隷的労働によるストレス解消のために口汚く罵ったに過ぎない。要するに犯罪者も傍観者も階級社会の底辺にいる人達ばかりである。弱い者が弱い者いじめをし、強者も弱い者をいじめる。すなわち誰もがこのヒエラルキー社会の犠牲者なのだ。上層部に位置する人間はそれを見て冷ややかに冷笑している事であろう。言っておくが、犯罪者をいじめても何の解決にもならない。犯罪者はますます世の中を憎み、社会を憎み、その行動はエスカレートするであろう。正すべきはこの階級社会という巨悪なのだ。決して個人にでは無い。しかしこのヒエラルキー社会を生み出している根源は人間の誇りである。自分は人より上になりたい、人より有利な立場でいたい、という欲望がある限り、階級社会は無くならない。階級社会を唯一壊す事が出来るのは、上下関係や身分などを度外視した互いに分け隔て無く接する愛しかない。よって愛は何かの業績を自分1人の手柄とはしない。愛はすべて互いに協力し、チームワークによりみんなで力を合わせて物事を成し遂げる。そして成し遂げた暁には個人を賞賛するのでは決して無く、みんなの少しずつ出し合ったみんなの力のおかげだね、とみんなで賞賛を分かち合うのである。

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