高田義裕の人生論

今日の格言

罪の報いは死である。

あらゆる忌むべき不義に対する至高者であり、聖なる方である神エホバの倫理的事柄に対する公正さは、我らに対して死の宣告だけであり、すなわち、その中には、どうせあなた方は死ぬ立場にあるのだから、それまではお金儲けをしようと、性的快楽に身をゆだねようと、なんにせよ、自分達の望むままに生きよ、というニュアンスが含まれているのである。要するに神は人間がどれだけ不義を行おうとそれ以上咎めたり、とどめたりはされないが、その代わり、もし誰かが災いに陥った時、それ以上助ける事もされないのである。なぜなら最初の人類の方から神に頼る事を捨てたからである。よって今の人間は、自分達が災いに陥った時には自力で解決して行かねばならず、自分にとって神の代わりとなる助けを必死で模索していくしかないのである。これこそが、もし神がおられるのなら、なぜ今苦しんでいる人達を助けないのか、というもっともな疑問の答えとなるのである。

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