高田義裕の人生論

今日の格言

カルト宗教と真の宗教との違い

我々人間の正しい認識とはどの様なものか。それは命以外に貴重なものはない、という事である。よって、命を犠牲にしてまで、追い求めるものはすべて悪である。例えば、昔のオウム真理教などは、他の一般市民の命を犠牲にしてまで、自分達の宗教信条を優先したのである。これは殺人以外の何物でもない。すなわち、自分達の信じる彼らの言う真理が、命以上に尊ばれる時、それはカルト教に変貌するのである。我々の理性による科学的見地は、命のために命を犠牲にする事は悪なのである。しかしである、人間という存在は、例えば、母親が自分の子供が災害に直面して死にそうになった時、母親は子供を避難させて、自分がその身代わりになろうとするのではないだろうか。これは何を示しているか。すなわち命のために命を犠牲にする存在が人間なのである。人間にとって命はすべてであるから、人はすべてのためにすべてを投げ出す覚悟を潜在意識として有しているのである。この我々の理性による、科学的見地からは説明出来ない特質を人間は持っているのである。よって、神がいて、その神のために自分の命を犠牲にする行為が宗教なのである。この犠牲心が偽りの神のために自分の命が注ぎ出される場合、これがカルト宗教なのである。しかし、もし本当の神がいて、その神のために人間が自分の命を犠牲にしてまで神を優先する場合、それは母親が自分の子供のために進んで自分の命を犠牲にする事と同じように気高い事なのである。よって本当の神のために自分の命を投げ出すなら、それが真の宗教なのであり、これは自分を犠牲にしてまで、他の人に尽くすという人間にとって一番正しい特質なのである。よって人は正しさを全う出来るならば、自分の命も惜しくないという気高さを有しているのである。これが人間が神のかたちに造られた事を証明するものである。

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