高田義裕の人生論

今日の格言

肉と霊の違い

肉的とは何か?それは欲望を満たすことである。それに対し、霊的とは何か?それは欲望を満たさないことである。例えば、肉は飢えれば食し、渇けば飲むことを要求するのである。肉的な人間は、自分の飽くことなき欲望を遂げようと必死になる。そこには常に争いが生じ、争いは軋轢を生み出し、軋轢は人の心を欲求不満にならせ、人は心身を病み、終始、苦しむことになる。しかし、霊的な人は違う。人は皆、失って、初めて、それが自分にとって必要不可欠なものであることに気付く。ある人々は今まで家族が一緒にいることは当たり前のことと思っていた。しかし、ある日、突然、災難に遭って家族すべてを失い、自分1人だけが生き延びた。彼は嘆き悲しみ、自分の哀れな境遇を呪った。そして、生きている限り、彼は自分にとってかけがえのない家族のことを思い浮かべながら、孤独を生き抜いた。そうである、人はもはや二度と手に入れることのできないことによって、それを実際に手に入れている人達よりも、それを永遠に愛することができる。あこがれこそ、人を富ませ、人格を形成し、そこには深い孤独感とともに自分にしかわからない心地よい自分の世界の境地を生み出す。これこそ、霊的な世界なのである。よって、すべてのものを手に入れるためには、今一度、すべてのものを失う必要があるのである。人は失うことによって初めて成長するからである。あなたには最愛の異性がいたか?もし、あなたが異性を何らかの形で失っても、それによって、失う以前よりも相手のことを愛することができる。もし、失わずにずっと二人でいたら、互いの存在の有り難さに気が付かず、むしろ、些細なことで喧嘩して離婚していたかもしれない。なぜなら、肉の思うことは一時的であるが、霊の思うことは永遠だからである。よって、すべてのものを手に入れることのできる者とは誰か?それは神である。なぜなら、神は肉ではなく、霊的存在だからである。まさに聖書にこう書かれてある。新約聖書、ヨハネによる書、4章23と24節。[とはいえ、真の崇拝者が霊と真理をもって父を崇拝する時が来ようとしています。それは今なのです。実際、父は、ご自分をそのように崇拝する者達を求めておられるのです。神は霊であられるので、神を崇拝する者も霊と真理をもって崇拝しなければなりません。]よって、大切な人を失った者達よ、あなたの頭をまっすぐ上にあげなさい。なぜなら、失ったことがない人よりも、失ったことによる悲しみを他の人と分かち合える人の方が幸福だからである。なぜなら、その人はもはや肉的ではなく、霊的な人だからである。神は傲慢な者達に敵対し、謙遜でへりくだった者達に過分のご親切をお与えになるからである。

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