高田義裕の人生論

今日の格言

神学序説

木を見て、森を見ず。森を見て、木を見ず。

人間1人1人は正しくなければならない。これは、言い換えれば、人間は欲望を抑えて、質素に生きることが最善である、と世間は言う。しかし、この価値観はまさに木を見て森を見ず、である。森という人間社会全体を見る時、すべての人間が一様に同じ価値観、すなわち、正しい人間であるとしたら、人間社会は上手く回らないだろう。これは、言い換えれば、すべての人間が欲望を抑えて、質素に生活すれば、社会全体はすべては貧しくなり、経済は盛いを失って、経済は立ち行かないのである。森という、マクロな視点で言えば、多様性こそが正しいのであり、贅沢が好きで、無駄遣いをしてくれる欲望の強い富裕層がお金を落としてくれるからこそ、社会経済は成り立ち、人は生きて行けるのである。よって、人間個人というミクロな視点、すなわち、一つの木を見た場合、人間1人1人は正しくなければならないが、今一度、視点を移し、マクロな視点、すなわち、森を見た場合、人間社会全体は、正しい人間もいれば、悪い人もいて、当然なのであり、いろんな価値観を持った人々がいるお陰で成り立っているのである。すなわち、多様性こそ、正しいのである。よって、我々の目は、木を見て、同時に森を見ることはできない。すなわち、言い換えれば、観察する対象を顕微鏡で見ながら、同時に望遠鏡で見ることはできないのである。すなわち、全体と部分を同時に見ることはできないということである。よって、人間にとって、人間は常に正しくなければならないということは、絶対的価値観[真理]ではないのである。すなわち、人間にとって、絶対的価値観、もしくは、絶対的存在[神]を追い求めること自体が悪[間違い]なのである。よって、神を信じる者もいれば、神を信じない者もいるのが当然であり、健全なのである。よって、正しい意見には必ず反対意見が存在しなければ、健全とは言えないということである。

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