高田義裕の人生論

今日の格言

数学の厳密性に対する懐疑性

A=Aという等式は誰もが疑う余地のない自明な事柄であると思われる。しかし、よく考えて見ると、この現実世界に1つとして同じものはないことにも気付かされる。すなわち、工場で作られる全く同じ製品であっても、それはA=Aとはならないのである。なぜなら、同じ製品でも、作られた時間が違うし、作られた製品は同じ場所には置けず、隣に置くしかない点でその位置も違うからである。しかし、論理学の世界では、敢えてそれらの細かい相違は考えないことにして、A=Aは成り立つことを前提として論議を積み上げていくのである。これこそが、論理学の限界であり、数学という厳密性の限界であると言える。なぜなら、論理の世界は、敢えて現実世界の曖昧模糊とした事情は割愛し、あくまでも単純で純粋な仮想空間を設定して成り立つことで威力を発揮するものだからである。例えば、精密機器の製造する場所は、埃や塵の全くない特別なクリーンルームで作られる。しかし、現実の空間は埃や塵で満ちている。よって、数学の厳密性とは、あくまでも埃や塵という現実にある曖昧さを扱わない点において、現実世界を正しく表現することはできないのである。すなわち、皮肉なことに、数学の厳密性はその厳密性を重視し過ぎるゆえに、本当の現実世界を厳密に説明し、解明することができないのである。これこそが論理学の利便性の良さであると同時に論理学の限界でもあるのである。

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