高田義裕の人生論

今日の格言

政治学

集積と発散

人類の歴史は乱世の歴史であった。有力な者達が全世界を支配しようと互いに戦い続け、帝国を造り、そして滅んで行った。それら英雄達の目標は、中央集権国家の樹立であった。すなわち、民衆達に対する権力を一ヵ所に集中させることだった。なぜ、そのようなことが必要だったのか?それは、この無秩序な無法地帯を1つの秩序ある平和な人類社会を実現するためであった。そう、この有象無象の人類を1つにまとめることが権力者達の目標であり、悲願だったからである。人々が好き勝手にばらばらに行動すると、あちこちで争いが生じ、治安も悪くなり、社会は大混乱に陥る。よって、この乱世の世を1つに統治しようとする権力の集中化がどうしても必要不可欠であったのである。人間には、多数の人々をまとめる力のあるリーダーが必要であり、それこそが、人類平和のカギを握っていたからである。しかし、権力の一極集中は1つの大きな弊害をも生んだ。それは、都市国家を形成し、地方の過疎化と大都市の過密化である。都市に富の大半が集中し、都市から遠く離れた地方は貧困化し、いずれは地方部族の不満と怒りが蓄積し、最後には反乱に発展した。これは現代の会社の例えで言えば、現場のことを、いちいち上層部へ指示を仰がなければ、何もできない日本の会社と似ている。しかし、現場のことを一番よく知っているのは、実際に現場で働いている人間なのであり、涼しい豪華な部屋であぐらをかいてペルシャ猫を撫でながら、上等なワインを飲んでいる現場のことを何も知らない上層部ではないのである。こんな会社はいずれ、潰れるのであり、そうしないためには、現場の人間が現場のことを取り仕切る権威を与えられてしかるべきである。古今東西、すべての帝国が衰退し、滅んで行ったのは、権力の集中により、末端の人々の現状を全く知らないで、たいそう裕福な権力者が全く見当違いな指示を下すことによる混乱であり、民衆による反乱が原因であった。そう、すべては権力者の貴族化であり、貴族政治にあったのである。このように、世の中をまとめる点において、権力の一極集中は非常に有益であるが、ある程度、社会がまとまりを見せ、安定していくにつれて、権力の一極集中は、貧富の差を増大させる害悪でしかなくなるのである。すなわち、政治の本質とは、権力の集積と発散の周期の繰り返しに他ならない。すなわち、正しい政治の在り方とは、富と権力の集中期間を50年とし、その後は、富と権力の分散期間を50年とする、周期性に変えねばならないということである。すなわち、大きな政府から、小さな政府による転換である。しかし、現実は、富と権力の一極集中化による既得権益層が富をいつまでも独占したいがために、中央集権国家をいつまでもだらだらと続けるから、すべての国家は必ず衰退して行くのである。現在の日本も正にその状態にあり、東京という大都市による富と権力の一極集中を止めず、地方にもっと、権限や富を分散しないことにより、弊害が生じ、その結果、賃金はいつまで経っても上がらず、日本社会は衰退し、日本銀行はゼロ金利を続けざるをえなくなっている。そのため、海外の投資家達は当然、儲からない円を捨てて、金利の高いドルを買う動きに出るのであり、それにより、円安となり、円の価値はますます下がって行くのである。いずれ日本国家は、デフォルトし、過去の帝国のように滅亡する運命を辿るのである。

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