高田義裕の人生論

今日の格言

極限論

何かを得ようとして何かを得る事は出来ない。例えば、史上最高の顕微鏡でこの世界で一番最小の素粒子以上の、さらに小さな粒子を見ようとする。しかし極限論で行くと、その見ようとする行為のゆえに見る対象を見えなくしてしまうのである。すなわち、物を見るためには実際に光の粒子を対象物に当ててそれから跳ね返ってくる光の粒子を捉える事でその物を見る事が出来る。この方法は比較的小さな粒子を見るためにはさして問題は無いのだが、これがものすごく小さな粒子の場合、光の粒子を当てて見ようとすると、その光の粒子の方が大きすぎて相手の粒子をビリヤードの玉のように弾いてしまうのである。すなわち観察者の方が光の粒子を当てて見ようとする行為がもはや限界である事を示している。これと同様に人生においても何かを得たいと思ってどれだけ頑張っても、その得たいという行動や欲求が最終的には邪魔をして、その得たい対象物を遠ざけてしまうのである。これは努力の質や量、もしくは個人の能力の大小に全く無関係であって、極限論から言えば、それはもはや原理的に不可能という事になる。では欲しいものを得るにはどうしたらいいのかと言うと、例えばあなたがお金を欲しいと思っているのならば、お金を目的にして稼ごうとしてもそれは得る事は決して出来無い。すなわち稼ごうと思ったら、お金を得ようとする以上の高い目標(志し)を持って行動するのである。例えば自分の事業をお金を稼ぐためでは無く、社会の役に立ちたいために気持ちを切り替えて行動するのである。そうすると、その事業は成功し、気が付いてみたらお金も貯まっていたというのが理想的なのである。また、ある科学者がノーベル賞を得たいから自分の研究に打ち込んでも決して彼はノーベル賞を受賞する事は出来ない。むしろ賞など関係無く、ただ人の役に立つ研究をしたいと一心に頑張る事によって気が付いてみたらノーベル賞も受賞していたというのが理想的な状況なのである。古今東西、成功して富を成した人達は皆、その志しが高いゆえに成功した人ばかりなのである。

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