高田義裕の人生論

今日の格言

民主主義と共産主義はどちらがより優れた支配の仕方か。

より自由である事は不自由である事より優れているか。すなわち、選択できる物や条件が狭められている事と、選択できる物や条件が豊富にある事の違いである。すなわち、言論の自由であり、あらゆる情報の収集可能な状態である。一見すると、なんでも自由に手に入る民主主義社会の方がより優れていると思われる。しかしここに大きな落とし穴がある。なんでも自由に手に入るという事は言い換えれば、情報過多であるという事であり、それは人が生きていく上で選択肢が多い分、なんでも自分で決定しなければならないという事だ。すなわち、自分の人生の道筋を指南してくれる指導者がいないという事を意味する。すなわち自分の人生をどう生きればよいか選択肢が多すぎて路頭に迷うのである。民主主義は確かに自由を享受してそれを謳歌している者もたくさんいるが、逆に自分がどう生きればいいか分からなくて、いろんなやり方を試し、それでも納得がいかずに病的に悩んで精神や体を無理に酷使し、社会から取り残される人々も多くいるのである。すなわち民主主義において、うまく行っている人を500人とすれば、うまく行っていない人間は1000人いるのである。それに対し、共産主義は確かに言論の自由も無いし、手に入る情報も少ない。これにより不自由な生活を強いられ、自分の人生は選択肢が少ないため、できる事も限られている奴隷状態となる。よって一見すると共産主義は民主主義より劣っていると思われがちである。しかしそこには大きな見落としがある。なぜなら共産主義には人民を指導する、はっきりとした指導者がおり、その人の言うことを聞いてさえいれば普通に生活できるし、その国で社会から取り残されるという事は無い。また、自分ができる事の選択肢が少ないという事は、その分、できる事が限られるから、人生をどう生きるべきかも限定される。そうであれば、与えられた条件下で精一杯最善を尽くそうという精神が育ち、次第に自分に与えられた仕事に熟練し、生き甲斐を見い出す様になる。すなわち共産主義において、不自由で苦しんでいる者もたくさんいるが、逆に与えられた範囲内で全力を尽くし、成功して人生を謳歌している者も多くいるのである。すなわち共産主義において、うまく行っていない人を1000人とすれば、うまく行っている人間は500人いるのである。すなわち民主主義体制と共産主義体制の中でうまく行っている人間とうまく行っていない人間の割合はどちらも500対1000であり、なんの大差も無いのである。よって、民主主義と共産主義はどちらがより優れているかは、甲乙つけ難いという事になる。すなわち言い換えれば、民主主義には民主主義の良いところもあれば、悪いところも多いし、共産主義には共産主義の悪いところもあれば、良いところも多いという事になる。すなわちどちらが優れているかは言えないのであり、これはもはやどちらの支配体制を選ぶかという個人の好みの問題になってくるのである。

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