今日の格言
邪悪さの定義
出来ない事柄であるからそれをしないのでは決して無く、出来る事柄であるのにあえてそれをしないこと、これこそ邪悪な心であると言う。例えば、我々人間は地球温暖化が我々人間の出す産業廃棄物が原因である事をはっきり分かっているのにあえてそれを改善しようとはしない。人間関係で明らかに自分の方が悪い事を分かっているのに、それを認めようとしない。これらはすべて確信犯であり、言い訳が出来ないことにおいて邪悪なのである。また、実現する意志も無いのに、それを実現すると人々に嘘をつくのも邪悪な心なのである。なぜこの様になるかと言うと、邪悪さの裏には不当な利得、不正な利潤の追求、利己的な貪欲な欲望を満たしたいというよこしまな心がその様に人間を邪悪にならせるのである。
2.人生の途中の道筋をどうしようかと悩んでいる者に対して言える事は、途中の道筋がどうのというよりも、最終的に最後には良くなればそれでいいのである。例えれば、人生とは山を登る登山の様なものであり、その登山の途上で頂上に着くことを断念する者は多いからである。よって人間の人生においてただ漠然と山を登っていては途中の悪路や急斜面に手こずって結局、途中で人生をドロップアウトしてしまうのであり、人は漠然と生きるのでは無く、常に頂上という具体的な目標を掲げて常に上を見続けて登るなら、途中の悪路や急斜面があってもそれを乗り越えられる気力を保つ事ができ、最後まで、すなわち、山の頂上まで辿り着く事が出来るからである。大事なのは人生において常に具体的な目標を持つ事なのである。
3.真の成功者は、成功したからといって有頂天になって我を忘れる事は無い。なぜなら彼にとって成功する事は自分の緻密な計算の予定の内に入っていたからである。すなわち成功とは自分が最初に立てた予定通りの事柄が達成された時にのみ、それは成功したと言える。言い換えれば、予想外の成功は本当の成功では無いのである。なぜならそれが何が原因で成功したのか分からないのであれば、いつなん時、何が原因でそれが失敗するかも分かっていないという事と同じであり、私達はただ盲目にそれを喜んでいるだけであるからである。私達が盲目であれば、いずれ予想外のところで道を踏み外し、2度と立ち上がれ無くなる危険性を放置している事になるからである。逆に言えば、自分の予想通りに失敗する事は自分の予想通りに成功する事と本質的に同じなのである。よって人は成功したければ、逆にどうしたら失敗するかを追求すれば良い。すなわち必ず失敗する事の逆の行為がそのまま必ず成功する方法だからである。すなわち必ず成功する方法をXとすると、必ず失敗する方法は-Xという事になる。この−Xを全体という1で引けば1-(-X)=Xとなるからである。これを未知数特定背理法と言う。