高田義裕の人生論

今日の箴言

世界中の読者の皆さん、こんにちは。高田義裕です。読者の皆さんから本当に多くの感謝のコメントを頂いて有難うございます。正直、こんなに反響があるとは、思いもしませんでした。大変驚いております。皆さんからのメッセージに大変、励まされました。皆さんに読んで頂けると思うと、大変、励みになります。皆様のご意見にすべてにお答えすることは、出来ませんが、お一人お一人のこれからの人生がより良いものとなるよう、心から祈っております。それでは、今日も、箴言をご紹介します。皆さん、張り切っていきましょう。

進化論と神の創造説

人間とはどのようにして誕生したのか、これを人類は常に模索して来たし、現在もそれを模索し続けている。現代人の大半は、進化論を受け入れている。しかし、まだ、多くの国々では、聖書による、神の創造説を信じている。果たしてどちらが正しいのであろうか。ここで、進化論を否定せずに、進化論の究極形を考えよう。進化論とは、長い時間をかけて、生き物が現在の状態よりもはるかに優れた状態に進化していくことを言う。それでは、これから人類はずっと進歩し続けて、究極的にはどうなるのかと考えてみると、結局は、神みたいな存在になるというのが、事の結論であろう。要するに、進化論を突き詰めていっても、結局は神にたどり着くのである。また、人類の誕生は、私達よりも、はるかにレベルの高い宇宙人によって成された、という意見もある。それでは、ここでも同じく、宇宙人による人類の誕生説を否定するのではなく、その論理を突き詰めて考えて行こう。まず、人類より次元の高い宇宙人が人間を造ったとする。しかし、ここで、新たな問題が発生する。それは、人類を造った宇宙人はどうやって生まれたのかという疑問である。これもまた、さっきの延長線上で、その宇宙人は、彼らよりもまた、さらに優れた宇宙人によって生み出されたということである。ならば、さらに、次の宇宙人は彼らよりもまたはるかに優れた宇宙人によって、とこれが延々と続く。これを究極的にまで煮詰めると、結局は神の様な存在になるとしか言えなくなるのである。すなわち、進化論も、人類の宇宙人による誕生説も、なんら、神の創造説を否定し得るものでは決してなく、ただ単に、人間の神による創造説を先延ばしにした考えに過ぎないのである。これら二つの論理は、結局は神の創造説に帰着されてしまうのである。よって、一番有力なのは、神による人類の誕生説なのである。

1.誰もが、社会に出て、働いていけば分かるように、この世の優秀さとは、所詮、ずる賢さに過ぎないのである。

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