高田義義裕の人生論

今日の箴言

人は皆、洗脳されると聞くと、恐ろしくて、異常なことのように感じられるであろう。しかし、洗脳には、二種類の種類があって、それは明らかに悪い洗脳と、良い洗脳がある。前者は、議論の余地無く、悪いが、後者はどうであろうか。良い洗脳というものは、果たしてあるのだろうか。それは、教育である。教育と書けば、聞こえはいいが、それも洗脳の一種なのである。ただ、悪い洗脳と明らかに違うのは、洗脳を施す側に利己心や悪意は無い、ということである。すなわち、洗脳する側も、洗脳される側も、どちらも、その洗脳思想、もしくは、洗脳的価値観を正しいと思っていて、良心からの気持ちで行なっており、両者の身分関係も、主従の関係ではなく、互いに同等な関係にあるということである。よく、正しい洗脳なら、それは別に間違ってはいないのではないかと言われる。それでは、正しい洗脳とは、正しいのであろうか。いや、それは正しく無い。洗脳は、あくまでも洗脳であって、それは良くないことなのである。なぜなら、それを行うことによって、たとえそれが人に対して良い方向に作用したとしても、所詮、それは洗脳であり、洗脳とは、人間の思考を停め、考えることを辞める行為であり、それが果たして正当なものか、再考し、熟考し、吟味し、議論し、疑ったりする人間の正常な自由を否定するものだからである。また、その考えのすべての傾向が、誰にでも理解できるように、単純明解であり、ワンパターンで、人間の言動を一つの型枠にはめてしまうものだからである。よって、洗脳思想にとって、それに少しでも疑ったり、疑問を持ったりすることは、決して許されない聖域であり、タブーであり、悪なのであり、もしそれが少しでも生じるなら、直ちに排除されねばならないものなのである。そこには、思考の自由は無く、議論も無い。また正しい洗脳の特徴としては、自分達が、予想もしなかった新たな問題には、全く対処出来ない。それを、客観的な態度で、改めて考え直したり、推理することが出来ない。ただ、それを無視するか、自分達にとって、全く理解出来ない異物として、廃棄処分されてしまうだけなのである。よって、結論として、この世界に、絶対的に正しい、あらゆるすべてのものに共通する真理とか、思想は存在しないのであり、この世の中に無数にある、あらゆる種類の教育は、あくまでも、洗脳の一部に過ぎないのである。

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