高田義裕の人生論

今日の箴言

人間に必要な、生きるための導きとは、あくまでも、全きもの、完全なもので無ければならないこと。すなわち、そこにほんの少しでも不純物が混ざっていたら、それは、導きには確答しないのである。これは例えると、ほとんどは真水だが、ほんの少し毒が混ざっている飲み水に似ているからである。もし、それを一回だけ飲むということであれば、さして問題は生じないかもしれないが、もしこれを毎日摂取し続けるとしたら、体内に毒が蓄積し、いずれは、死を招くほどのものとなるのである。これと同様に、人を生かし続ける飲み水の如く、霊的食物とも言える、人にとっての導きも、全く純度100%の真水の様に、ほんの少しの間違いもないもので無ければならないのであり、もし、ほとんど正しいけれども、ほんの少し不十分な知識というものを、毎日取り入れ続けるなら、いずれ、人生の途上において、必ず行き詰まり、悲惨な結果を刈り取る事になるのである。要するに、例えどんな教えであっても、ほとんど正しいからと言って大丈夫だと、のん気な事を言っては済まされない事柄なのである。よって、すべての人の人生が必ずどこかで狂うのは、完全に正しい教育ではなく、中途半端に正しく、毒も少し混ざっている教育を受けて来たから故に起こることなのである。

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。