高田義裕の人生論

今日の箴言

人は、臆病な者程、自分を恐ろしく見せたがること。なぜなら、実際の弱さがばれない様にする為である。しかし、本当に強い者とは、自分を弱く見せたがること。なぜなら、実際の強さがばれて、他の人が自分に恐れを抱く事を嫌うからである。また、人は頭が悪い者程、自分を賢く見せたがること。なぜなら、実際の頭の悪さがばれない様にする為である。しかし、本当に賢い者とは、自分を頭が悪い様に振る舞うこと。なぜなら、実際の頭の良さがばれて、他の人が自分に警戒心を持つことを避ける為である。

 

高田義裕の人生論

今日の箴言

人は、自分一人が、突出して立派に成ろうとするから、孤独で不安になるのである。人は、自分一人の力だけで生きているのではない。多くの人の助力を得て、初めて生きていけるのである。例えば、あなたが会社に行けるのも、他の人が道路を整備してくれたお陰で、難なく車を使えば会社に無事着けるのである。仕事の帰り、今日は、残業が多くて疲れたので、自分で食事を作ることをやめて、近くのレストランで食事を済まそうと決めたとしても、そのレストランはあなたではない、全く別の人が経営してくれているお陰で、あなたは、初めてそこで、食事を済ませることができるのである。この様に、人が毎日の生活を円滑に過ごせるのも、自分の力だけでなく、他の人もあなたとは別の分野で働いていてくれるから、初めて可能な事なのである。この様に、自分が突出して立派になるという命題も明らかに間違った命題である事が分かる。人はみんながいてくれて、ようやく一人前なのである。しかし、人は、それをあまり考慮に入れずに、何か自分だけが偉くて立派な人物である事を期待したり、望んだりしているのである。この、人が人に対する対抗意識というものはどこから来るのであろう。そんな事は、どだい無理でナンセンスな事柄なのに、人は他の人に負けたく無いし、人の上に立とうとするのである。この原因は、やはり、人が生まれながらに誰もが持っている、劣等感というコンプレックスにあると考えられる。劣等感があるから、それを当然、人は克服したいと願う。よって、何かの分野で突出して有名に成ろうと努力するのである。そうすれば、自分にあるこの劣等感を解消することができると考えるのである。しかし、本質的に言って、自分が他の人より劣っているという癒しがたい心のキズを、他の人よりも優れた者に成る事によって解消しようとすることは、問題のすり替えに過ぎない。なぜ、あなたは、他の人に自分の心の心情を吐露して、互いに支え合わないのか。それこそ本当の問題解決の方法なのに、人はそうしようとはしないのである。自分の心の問題を癒す唯一の方法は、互いに対抗することでは決して無く、あくまでも、互いに協力しあって、支え合い、慰め合うことでしか、解消されないのである。これはやはり、人の心の傾向が、野心に満ちているということを示すものである。人は、他の人に対して神の様に権力を振るいたいという利己的願望を持っていることの証拠である。そう、私達には、元来その様な罪の意識を持っているのである。これは、悪魔サタンが、神の主権に対抗し、自分が神の様になりたいと野心を持ったことに起因するのである。その同じ様な野心を、悪魔サタンの言われるままに、神の禁じた木の実を食べた最初の人間達、アダムとエバも持っていたのである。この利己的な罪を犯した事を土台として、人間社会は連綿と形成され構築されていったのである。よって、私達の住むこの世の中は愛の無い弱肉強食の世界なのであり、それが人々を利己的に成らせ、互いに協力するという事を難しくしているのである。ここから、悪い意味での、人間間の競争が始まっているのであり、その故に、本当の解決方法を知らない人々は、餓え、渇き、孤独に悩まされ、不安と恐れを抱いて生きていかざるを得ない様に、自分達でそうしているのである。

高田義裕の人生論

今日の箴言

人は、他の人の行う悪行を見て、ただ単純に激しく憤る必要は、全く無いこと。本人は、ズルをして、さも上手くやり通せた、と得した気分になっているかもしれないが、実際には、それに対する悪い報いを既に全部受けているからである。例えば、彼は、人からお金を借りて、後でちゃんと返すと言っておきながら、ずっとそれを返さずにいて、返すのをうやむやにしようとしたとする。しかし、お金を貸した側は、彼が一向にお金を返さないのをずっと覚えており、二度と彼にはお金を貸したくないと決意する。彼はそれを決意するだけでなく、本人には知らせずに、周りの友達に彼は借りたお金も返さない優柔不断な男だと吹聴する。それを聞いたある友が、たまたまお金を返さない男の親友だったとする。彼はそれを聞いて、密かに彼と仲良くするのを止めようと決意した。そこで、お金を返さない男が、その親友に親しげに話しても、もうその親友は、心の中では、彼を避けていて、表面的には親しい様に見せかける。実は、彼がお金を返さない事を聞く以前には、彼はその男にガールフレンドを紹介してあげようと思っていたのだが、それも止める事にした。これによって、その男は以前からガールフレンドを持ちたいと思っていた願望が、自分のそのお金を返さないと言う悪行の故に、叶わなくなったのである。この様に、人は巡り巡って自分の知らないところで自分の過ちの故に、損失を被ることになるのである。よって、すべての人は、自分の行いの当然の報いを既に全部受けているのである。

高田義裕の人生論

今日の箴言

人は、日々楽しそうにしている人達の姿を見て、単純に羨ましいと思うかもしれない。しかし、人間は、楽しむという事においてすら、自発的努力が必死不可欠なのである。例えば、楽しそうにお喋りしている人は、日頃から、新聞や雑誌などに毎日目を通して、何か話題になる様な内容のものが無いか努力して探しているのである。また、絵を描いて楽しむというレベルに行くまでには、相当の努力が必要である事は言うまでもない。要するに、ただ何事も受け身で何か楽しい事は無いかと待っていても何も来ないのである。あくまでも、自分から努力して始めなければ、ただ、寝るだけか、ぼーっとしているだけか、テレビを見たりという退屈さしかないのである。結局、人間は、どれだけ怠け者であっても、自助努力をしなければ、暇すぎて、気が狂ってしまうのである。すなわち、人間は、決して、怠けられない様に出来ているのである。

高田義裕の人生論

今日の箴言

たとえ、死であっても、それが死ぬべき時に死ぬ事、死に値するものが死ぬ事、もしくは、本来死ぬべきものが死ぬ事は、秩序ある正しい事柄なのである。それが、もし、成立しないとすれば、それは正しくない、すなわち、悪という事になるのである。例えば、生き物の体の新陳代謝として、細胞とは、生まれて来ては、それが古くなると、死んで、また新たな細胞が生まれて来るという事が、細胞としての正しい性質であり、もし細胞が古くなっても死なないとしたら、それは正しくない、異常な事なのである。よって、人間が死を忌み嫌っているのは、人間という存在が、死ぬべき様な存在として造られていないという事の感情的な証なのである。もし、人間が最初から、死ぬべき存在としてあるのなら、人間にとって死ぬ事は当たり前のことであり、それは正しいことであり、死を忌み嫌うはずも無く、むしろ、死ぬ事を喜ぶはずなのである。しかし、人間は人の死を喜ばないのである。これは、本来人間は死ぬ存在では無かったという事を示しているのである。ここで、聖書の言う永遠の命というものも、ただの絵空事ではなくなって来るのであり、にわかに現実実を帯びて来るのである。

高田義裕の人生論

今日の箴言

造ろうと思えば、言い訳も逃げ道も幾らでも造れるのである。要は、すべて心に拠るという事である。よって、たとえ、同じ事をするにしても、どういうつもりでするかによって、それらは別のものになるということである。例えば、他の人から、褒められたいという理由で親切にするのと、本当に相手の事を気遣って親切にするのとでは、全く意味が違うのである。前者は、見た目には、立派に映るが、内面は、強欲であり、後者は、見た目には、地味に映るが、内面は、立派なのである。

2.神エホバは、どちらかと言えば、受ける喜びよりも、与える喜びを得させる為に、人を創造されたと言える。

3.たとえ、恵まれていても、それが自分の手によって、得たもので無ければ、本当に恵まれているとは、言えないこと。例えば、大金持ちの息子がどれだけ恵まれていたとしても、それは、自分の力で手に入れたものではない故に、彼にとって、ゴージャスな生活は、当たり前であり、何の喜びも感動も無い普通の事である。しかし、その父が事業に失敗して、すべての財産を失った。彼らはボロボロの狭い小さなアパートで住む他無くなった。その時、息子は、以前の生活がいかにゴージャスで恵まれていたのかを悟った。そして、悔し涙を流しながら、奴隷労働をして働いた。そして、以前当たり前の様に持っていた高級時計を目にした時、いかにその時計が手に入れにくい程、高価な物であるかを思い知らされた。彼は、一発奮起し、その時計を買う為に、食事も節約し、不眠不休で働き続けた。そして、ようやく、10年後に、その時計を自分の力で手に入れた。もうその時の苦労が報われた喜びと、感動で彼は泣きながらその腕時計を手にはめた。そうである。こうして、彼は初めて、自分は恵まれているという気持ちという実感が湧いたのである。

高田義裕の人生論

今日の箴言

本当の意志とは、それをする事が、非常に困難である時に、あえてそれを行うことがその定義であること。

2.真理とは、既にあって、決められているものではなく、自ら造り出していく部類のものであること。

3.真理でさえ、変化する相対的なものであること。なぜなら、神でさえ、日々進んでおられるからである。

4.傷付くことを恐れていては、生きることに反する行為であること。

5.神エホバが、最初の人間アダムに、自分が取られた地面を耕すように命じられた様に、人は常に、自分の心を耕さなければならないのである。

6.結局、本質的に、怠惰な私達人間を動かしているのは、好意からでも無ければ、約束したからでも無く、唯一、ただ有無を言わせぬ強制力だけであること。

7.マスターベーションとは、自閉的自己満足感の事であること。

8.本人以外の外部からその人を損なえるものは何もありません。ただ、すべて、人は、自らによって自らを初めて損なうだけなのです。

9.もし、すべてを知ってしまったら、これほど退屈で耐えられないものはないだろう。

10.たとえ、人を騙し、人から誉れを受ける事があったとしても、神を騙し、神から喜ばれる事は決して無いこと。

高田義裕の人生論

今日の箴言

あなたは、電車に乗っている。電車は速度80キロメーターで走っている。あなたには、この電車のスピード感を感じることはない。地球だってそうだ。地球も太陽の周りを猛スピードで回っているが、その中にいる私達には、そのスピード感を感じることは出来ない。これと同様に、病気でも、自分が病気であると、自覚出来るレベルでは、大して重い病気のレベルではない。本当に致命的な病気の場合は、地球の速さの様に、自覚症状がない。そう、本当の重病人は、自分が病気であることを知らないのである。むしろ、自分は健康で元気であると思っている。すべての人間はいずれ死ぬ。普段、健康に見えていた人が、突然死ぬという事は、日常茶飯事である。この様に、鬱病でも、自分が苦しくてたまらないという自覚症状がある時は、それは大した鬱の状態ではない。むしろ、苦しいとか、辛いとかの自覚症状がない鬱状態こそ、本当の致死的な鬱病である。よって、死にそうな程、苦しい思いをして鬱病と戦っている者達よ、あなたの鬱病はもはや治らないほど悪いのではない。もっと安心感を持ちなさい。今は、苦しくても、あなたの鬱病は必ず治るからである。あなたの病気が治る保証は、あなたが今、実際に苦しんでいることに裏付けされるからである。もう出遅れで、治らない病気の状態には、苦しいとかの自覚症状はないのである。

高田義裕の人生論

今日の箴言

物事の当然の正しい順序として、まず、自分の手の内を見せて、まず自分の方から、心を開くから、その後に初めて、相手の人も心を開いてくれるのである。これと同様に、何事も、自分が何か人から得るのに値するほど偉いとか、誉れある人間だからという理由で人はあなたに与えてくれるのでは決してないのである。そうではなく、まず自分から、率先して相手に与えていくから、初めて、相手も自分に与えてくれるのである。これが、本来の人間関係の当然の、かつ、健全な正しい順序であるのである。しかし、この世の中に孔子の言う立派で賢い君子という存在が居なくなると、世の中は、こせこせして、小利口ばかりが横行する様になる。すなわち、生きた立派な手本になる人物が居なくなると、世の中の人々は、皆、損得勘定で物事を捉えがちになるのである。そうなると、当然、社会は、法治国家ではなく、汚職や賄賂、差別、横領が当たり前の不健全な社会になるのである。いわゆる人治国家である。現在の民主主義も、賢くて模範的指導者が居ない為、まともな正しい方向性も与えられないので、だんだんと衆愚政治化して行っているのである。衆愚政治とは、この場合、多数決主義になるという事であり、意見の多い方が正しいとされる政治体制である。しかし、歴史の必然として、多数派が常に正しい選択をするのは、稀で、古今東西、常に正しいのは、少数派な人達(マイノリティー)なのである。物事は短期的な利得で捉えられがちになり、それは、地球全体に悪影響を及ぼし、いずれは、人類社会の滅亡が頭をもたげて来るのである。物事は、常に長期的な利得で考えていかなければ、良くなって行かないのであり、今さえ良ければいいという考えで、将来の息子や孫達の事も視野に入れた、長期的計画を人類は、探っていかなければならないのに、それを視野に入れず、このまま排気ガス汚染、産業廃棄物の垂れ流し、貪欲な利得主義を続けていたら、必ず自滅するのである。昨今の世界中で起きている大規模な自然災害は、その日がもう近いという事を、前もって我々人類に警告を与えているのである。

高田義裕の人生論

今日の箴言

登りがあれば、必ず下りがあるのではありませんか。よって、今苦しい思いをしている人は、後で必ず、楽な思いをするのです。

2.人は人を裁く事は出来ない。よって、人は他の人のいかなる悪い所も裁けない代わりに、他の人も、あなたのいかなる悪い所も裁けないのである。ただあるとしたら、各自、自分の行った態度や行動に従って必ず報いを受けるだけである。もし、あなたが悪い事を行い続けるなら、いずれあなたは、必ず悪い報い(ダメージ)を受けるのであり、逆に、あなたが良い事を行い続けるなら、いずれあなたは、必ず良い報い(アドバンテージ)を受けるという事である。