高田義裕の人生論

今日の箴言

人間とは、最低限、自分自身さえ生活が出来て、自分自身の世話さえ出来ていれば、他の人から文句を言われる事もないし、その筋合いもないのである。しかし、あなたが、利己的になって、自分さえ良ければ良いと考える様になって、自分の事ばかり気にかけて他の人の事は、知らんぷりをしていたらどうであろうか。実はそれでも、あなたは、他の人から文句を言われる筋合いはないのである。このように、自分が、どう生きようが、自分という存在において、権利は、自分にあるという事である。ただ、あなたは、自分の事ばかり考えずに、他の人の事も顧みるという選択肢を、権利として持っているのであって、それは強制的義務ではないのである。よって、あなたは、自分の適用範囲を自らの意志で広くし、それを他の人にまで広げることも自分次第なのである。ただあるとすれば、日々、他の人の所まで、親切にしている事を習慣にしている者は、いざ、自分が問題に陥ったり、災害に見舞われてしまった時、いつも親切にしてあげた他の人が今度は、あなたを救ってくれるのである。あなたは、あなたが思いがけもしない仕方で自分が救われるのを見るであろう。しかし、日頃、自分の事だけに追われている者が、いざ、問題に陥ったり、災害に見舞われてしまった時、助けてくれる者は誰もいないのである。何故なら、あなたは、日頃、他の人の為に、親切にしてこなかったからである。誰かが、あなたの事を助け様にも、あなた自身が、他の人に自分という存在を明らかにしてこなかった故に、誰もあなたの存在を知らないからである。よって、結論として、自分の事だけに集中している人は、それ自体は、罪では無いが、他の人のことを知らんぷりしている分、他の人もあなたの事を知らんぷりしているのである。しかし、自分の事だけ考えずに、他の人の事も気にかけている人は、他の人に自分という存在を知らせている分、他の人もあなたの存在を知ってくれているという事なのである。この違いはいざという緊急事態の時には、生死を分けるほどの差となるものである。

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