高田義裕の人生論

今日の箴言

神への信仰の試みが完成された後には、試みはもはや無駄なものとなり、その代わりにまた、新たな段階が待っているのである。要するに、現在私達は、自分達の信仰を試される世代に生きており、この世代は、神の存在を肌で感じる事が出来ず、すなわち、周りの創造物や聖書によって神を想像するしか無いのである。しかし、その後の世代は、その様な不正確で不明瞭な状態から抜け出て、神を全体から知る、すなわち、あるがままを見る、もしくは、初めて神を神として完全に知る様になると言う事である。それはまるで、人と人とが手紙だけで交流していたものが、手紙を通してでは無く、人と人とが直接顔を見合わせて話す様な状態となるのであり、またそれ以上の親密な、神と人との関係に到達すると言う事である。

2.はっきりと言っておく。単に神はおられると言う事が、大切なのでは決して無く、神はどのようにおられるのか、と言う事が初めて意味があるのであり、神は人の思いの中におられるのでは決して無く、神は御自身が意図されるままにおられるというのが、本当の正確な表現なのである。

3.誰でも、他の人の事は、いちいち気がつくし、分かるのである。しかし、自分の事を本当に分かっている者がもしいるとするならば、それこそ、初めて偉大な者なのである。すなわち、その様な者は1人もいないという事である。よって、他の人の事をいちいち詮索し、解説出来る者が賢いのでは無く、自分がいかなる者であるかを真に知っている者が初めて賢いのである。

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