高田義裕の人生論

今日の箴言

人々は、日常の一部分で起こる、目の前で、もしくは、聞き伝えによって経験する不条理で理解し難い事件に対して、戸惑い、驚き、嘆くが、実際には、私達人間の人生そのものが、大きな不条理に過ぎ無いのである。

2.人の編み出すどんな立派で素晴らしい偉業も、すべて、時間というふるいの中で洗練され、精錬され、野ざらしに晒されるうちに、真理という範疇にでは無く、~派、~主義という個人的好みの、小さな範疇に収まって、いずれは、廃れ、人々から飽きられ、その途上で消えて、死んでいってしまうものであること。しかし、真理、すなわち、神の言葉はいつまでも永久に生き続け、初まりも終わりも無いのである。すなわち、神(真理)とはαであり、ωであり、最初であり、最後であるのである。

3.たとえ、どんなに美味しくて、素晴らしいご馳走でもそればかりでは必ず飽きが来るのである。同様に、正しい事ばかりしていては、いつか必ず飽きが来るのであり、人はたまには悪も行ってみたいと思うのである。同様に、悪い事ばかりしていては、いつか必ず飽きが来るのであり、人はたまには善も行ってみたいと思うのである。

4.神エホバを畏れる者は、自分の身を確かに守っている者なのであり、神エホバを畏れない者は、自分の身に暴虐を行っている者であるのである。

5.嘘とは、すべて、十分に調べもしないで、そうであると決めつける偏見、または、先入観の事であること。

6.真理を知ることに意味があるのでは無く、真理をたとえ少しずつでも、行って行く事に初めて意味があるのである。

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