高田義裕の人生論

今日の箴言

神学序説

大昔に人は神エホバの義なる支配圏から故意に反逆したのであるから、神エホバは今日、人が悪魔サタンの邪悪なる支配圏からの故意による放棄によって救われる事を意図されたのである。よって、神エホバの義を守る故に受ける迫害をも、神エホバに従う者達にとっては、必ず通らねばならぬ一種の必須条件であると言える。なぜなら、迫害をも恐れぬほどの覚悟の行動による従順で無ければ、最初の人間アダムとエバの取った神エホバを恐れぬほどの覚悟の反逆と対等に釣り合わないからである。

2.私達の内にある自己満足の神、自己暗示の神、自己愛の神はすべて、最終的には真実の神エホバにひざまずかなければならないのである。

3.私達は誰が救われるのだろうかと言って、キリストは天には昇らなかったと言ってはならない。また、私達は誰が滅びるのだろうかと言って、キリストは死ななかったと言ってはならない。私達は皆、キリストは確かに死なれて、その後三日後に神エホバ御自身によって蘇らされ、確かに天へ昇られたと言わなければならない。

4.人間自身が定めたどんな立派な動機も、いずれ後には、必ずマンネリというものに化学変化してしまうのである。

5.聖書の聖句にある[ただ自分の目から見て思慮深い者となってはならない。]というたった1つの言葉によって、どれだけ多くの人がそれによって身をかがまなければならないだろうか。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。