高田義裕の人生論

今日の格言

(題名)     ポルノは必要悪か。

どこかしこにもポルノの雑誌やビデオが販売されている。もしポルノを法律的に全面禁止してしまったらどうなるだろう。確かにポルノは彼女のいない男性にとって性的欲求のはけ口になっている事は確かである。もしポルノを禁止したら、男性はその強い性衝動に屈して女性をレイプする事が多発するかもしれない。しかし、ポルノにはまた別の悪弊がある。それはポルノとは、あくまでも虚構の世界であり、意図的に製作者によって作られたものだ。しかしポルノばかり見ている男性は次第にそのポルノの虚構世界と現実世界の違いを区別出来なくなり、女性を性の対象というモノでしか見れなくなってくる。実際、ポルノだけを見て満足出来無くなり、実際に女性をレイプする事件は後を絶たない。要するにポルノを禁止しようが、許容しようが性犯罪自体は無くならないのである。しかし男性でポルノを見て満足している人数の割合と、ポルノだけで満足できず実際に性犯罪を犯してしまう男性の人数の比率は圧倒的に前者の方が多いと思う。すなわち全男性の中のごく一部の人間が実際に性犯罪を犯していると考えられる。逆に言えば、大半の男性はポルノを見るが、性犯罪までには至らないケースの方が割合が高いのである。私はクリスチャンなので、ポルノも見ないし、淫行も姦淫もマスターベーションもしないのであるが、(実際、彼女もいない。)男性の自分ではコントロール出来ないほどの強い性衝動の感覚は痛いほど分かる。神はポルノを非としているのはもちろんだが、現実世界はそう単純で簡単なわけにはいかない。すなわち綺麗事では済まされない深刻な問題なのだ。しかしイスラム社会にはポルノは無い。それでも性犯罪が起きないのは、イスラム教の信仰に男性が固くついているからだと思う。そう思うと信仰という力は恐ろしいものだ。人間にとって神に対する信仰ほどの強いものをもってしても、男性は自分にある獣の様な性的欲求を飼いならす事は至難の技なのである。

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