高田義裕の人生論

今日の格言

現代社会における最大の偶像崇拝による闇

我々21世紀における最大の偶像崇拝とは何か?それは、固定観念であり、思い込みであり、決めつけに他ならない。私達は毎日の生活の中で、どうせ何をやっても変わらないと決めつけていたり、これは間違いなく悪いと決めつけて固定観念を持っていたり、あの人は嫌な人だ、と決めつけて思い込んだりしていないか?これこそが、思考停止状態であり、最大の偶像崇拝なのである。すなわち、相手と対話すること、お互いに継続して話し合い続けること、お互いに譲り合い、良好な関係を保ち続けることを否定する行為なのである。要するに、そこには、自分にとって、世界が敵か味方かの二通りの価値観しかないのであり、これは人を堕落させるものである。この多様性に満ちた深くて広大な世界は驚くほど複雑であり、到底、敵味方という軽率で、狭量な考え方では、はかり知ることは出来ないのである。よって、我々人間は、お互いに対話すること、相手を理解しようと努め続けることを止めてはいけないのである。我々は常に考え続けなければならないし、コミュニケーションを止めてはいけないのである。もし、話し合い、対話し合うことが、それ以上無駄なことならば、我々には元から口はないからである。しかし、私達は生活する上で、食べ続けていかなければならないし、他の人とおしゃべりすることを必要としているからである。よって、この多様性に満ちた世界を東西の冷戦のようなただ2つの価値観しかないと思い込んではいけない。単に民主主義勢力のアメリカが正しくて、独裁政権国家であるロシア勢が悪い、という軽率な固定観念を持ってはいけない。この点においても我々は常に考え、和平を模索し、話し合わなければならないのである。すなわち、アメリカ勢にはアメリカ勢の言い分があるのであり、ロシア勢にはロシア勢側の言い分があるのである。よって、相手を単に、敵か味方かという浅はかな思考停止という偶像崇拝を止め、我々はとことん話し合い、互いの譲歩が導き出せるまで、対話し続けなければならないのである。大昔からあるキリスト教の聖典である聖書に再三、戒められている偶像崇拝とはこのようなことを指しているのである。よって、最大の偶像崇拝とは、相手のことをよく知りもしないで、勝手に決めつける態度にあるのである。よって、人間は何事もすべての事において、よく調べもせずに性急に判断してはならないのである。

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