今日の箴言
何事も、最良の事柄こそ、その用い方次第で、最悪の事柄にもなり得るのであり、逆に、何事も、最悪の事柄こそ、その用い方次第で最良にもなり得るという事なのである。よって人間と言う理性を持ち、あらゆる物事を識別する特質を持った存在にとって、最悪を避けて、最良の事だけ行うというのは、むしろ、最も狭量で、人間本来の能力を活かしていないやり方であり、生き方であると言う事である。例えば、人間以外の生き物は、それぞれにとって、最悪を避け、最善の生き方しか知らないのであり、それは、そう言う意味においては、完璧な生き物なのである。しかし、そう言う事であれば、本能だけによって支配されている他の生き物、すなわち、鳥や魚や動物の様に人間もすれば良いと言う事になってしまうのである。しかし、人間は、自分達が、他の生き物より遥かに勝っていると言う自覚があるのでは無いか。この自覚は何処から来るのだろう。これは最初にも述べた様に、人間には選択権があり、その用い方次第で良くも悪くもなると言う事に価値があると言わざるを得ない。要するに、無駄な事も出来ると言う点で他の生き物より勝っているのである。もしそうだとするなら、人間は常に正しく生きるべきである、と言う倫理観は、最も愚かな価値観だと言える。人間は神の様に、清く正しく生きるべきである、と言う価値観自体が果たして正当なものであるかは、疑わしいと言う事になる。何故なら、無駄な事や間違った事も自由に行える能力を持っていると言う事が、他の生き物より勝っていると言う理由になっているからである。神を信じている私から言えば、これは根幹をゆるがす大問題である。何故なら、そんな無駄な事も行えるから他の生き物より優れている等と言う理由は、私には、そんなに優れたものには思えないからである。これについては、これからもよく考えて、思索して行こうと思う。読者の皆さんはどう思われるだろうか。