高田義裕の人生論

今日の箴言

ある貧しい男がいた。彼は自分が何の価値も無い事に強い劣等感を持っていた。だから、いつも人から脚光を浴びたい、有名になりたい、目立ちたいという願望を持っていた。ある時、道端に捨てられていた新聞紙に、あなたも100万円で有名人になれます、という見出しの付いた広告が目に入った。それは、100万円出せば、誰でも1日だけテレビに出演できるし、観客の目の前で自分を披露する事が出来ると書いてあった。これを見て、彼はこれこそチャンスであると思い、一発奮起して、テレビに出たい一心で、一生懸命働いて100万円をひどい思いをして貯めた。そして、その企画会社に電話して、その企画に参加したいとの申し込みをした。それで彼はそのテレビの番組に出演する事に決まった。いざ出演して見ると、自分の憧れていた芸能人や有名人には直接会えたし、多くの観客の前で拍手喝采を浴びて有頂天になった。しかし、その夢のような1日も瞬く間に過ぎ去り、苦労をして貯めた100万円も無くなり、彼は一瞬にしてまた元の地味で冴えない何にも無い日常に戻った。果たしてあの出来事は何だったんだろう、夢でも見ていたのでは無いか、というくらいの落差を感じ、彼はその事を非常に虚しく感じた。そうである、これは何かと類似していないであろうか。そうだ、人生である。これは人の人生と同じである。貧しい家に生まれ、劣等感から抜け出す為に一生懸命働いて、大金持ちになり、有頂天になっても、いずれは必ず死が訪れる。先程のテレビの企画のお金の金額と有名人になれる時間の長さが違うだけで、本質は同じである。人は死んでも甚だしい名誉も莫大な財産も一緒に持って行く事は出来ない。あなたが死んだら、それは一体誰のものになるのか。すべての事はまるで夢を見ていた事の様に死をもってすべてに幕が降りる。何と虚しいことであろうか。所詮私達は貧乏人であり、たとえお金持ちになっても、それは貧乏人が無理してただ見栄を張っただけの事なのだ。そんな事を羨ましく思うのは虚しい事であり、愚かな事なのである。

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