高田義裕の人生論

今日の箴言

よく人生訓として、若い時から苦労をしろ、とか、勤勉に一生懸命働け、とか、叱咤激励する私達を追い込む様な教訓で満ち溢れているけれども、それをちゃんと人生の若いうちからわきまえて実践している人達は文句無く立派な人達である。彼等は、常に自分の限界を超えようと必死に自分を追い込み、極限状況にまで自分を持って行き、常人には計り知れないハードな世界に身を置いている。確かにこれは正しい生き方の1つではあろう。しかし、これは絶対的に正しいかと言うと決してそうでは無い。例えば、親に甘やかされて育ち、何の不自由も無く暮らし、日々を何となく、のほほんと生きて来た人達もいる。果たして彼等は間違っているのだろうか。実は決してそうでは無い。実際には人生の最初のうちから優秀に生きて来た人達と何ら変わらないのである。なぜそう言えるか。なぜなら、人生をのほほんと生きて来た人達も、いつまでもその調子で生きていけるわけでは無いからである。人生とは、苦しい事が50%あり、楽しい事も50%ある、それらを足してプラスマイナスゼロの状態の事を言う。これはあらゆるすべての人間に平等に与えられている。若い時から苦労をして生きるという事は、苦しい事の50%を5で割り、また、楽しい事の50%を5で割り、互いに10%ずつに分け、10%×10にする。そして、まず苦しい事を10%我慢して行う。そして次には楽しい事を10%味わう。すなわち、一時間働いたら、一時間休むのである。これを交互に繰り返し、結果、100%を難なく楽に達成するのである。しかし、最初から楽して生きている人間は、まず楽しい事50%をまるごと味わう。すると残っているのは、苦しい事50%だけである。そうだ、10時間休んでしまったので、残りの90時間は休み無く働かなければならないのである。これは並の人間には耐えられないほどの苦痛である。そうなのだ。最初は楽していても、最後には、地獄の苦しみが待っているのである。これは自らをあえて極限状況にまで追い込み、ハードな世界を生きている人達の10倍ものハードさを強いられる事になるのだ。すなわち、楽していた人の方が苦労をして来た人よりも後で10倍もの苦労をする事になるのである。これは極限状況のさらなる極限状況に追い込まれる事に等しい。この結果、苦労の量と質が10倍違っても成果は互いに同じになってしまうのである。そうなのだ。昔から人生訓として若いうちから苦労しろ、とか、勤勉に一生懸命働け、とか言う教訓は決して人を追い込む目的で言っているのでは無く、若いうちから苦労すれば、後の人生は楽に生きられるし、損する事は無い、むしろ得をするよ、と言っているのであり、歳をとってから苦労しても苦しいだけで人生は終わってしまい、得する事は無い、大損するよ、と言っているのが事の真相なのである。すなわち、苦労を先に選ぶ方が、最終的には楽できるという事が人生の教訓なのである。

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