高田義裕の人生論

今日の箴言

神学序説

1.自分の知恵や自分の理解力によって自分を形造るのを止め、神エホバから直接に来る知恵によって自分を形造らなければならないのである。

2.自分で自分の事を十分に世話出来るのなら、私達は神という存在に対して、祈る必要性などあったであろうか。要するに、自分は自分を十分に導くことさえ出来ないのである。まして、他の人を導くなど、とんでもない事なのである。

3.救いの手立てを持っていない者は、また同時に裁く能力をも持っていない者である。よって、他の人を裁こうとするあなたは一体何者なのですか。あなたが御子イエスキリストであるはずも無いのにである。裁く事が出来るのはただお一人、救う事も滅ぼす事も出来る方、エホバ神のみである。

4.当然、誇れるような行為をして、なぜ誇ってはいけないのか、と言う者があるかもしれないが、そうでは無く、誇ろうとする気持ち自体が罪なのである。ここで、神エホバは、なぜ禁断の木の実を置いたのか、とか、禁断の木の実とはどの様な性質上のものであったか、などは全く無意味な議論なのであり、要は、禁断の木の実を食べたいと思って食べた、という気持ちと行動そのもの自体が既に罪を産んだのである。

5.  [神]の定義

まず第一に、あらゆるすべてのものを良い、悪いという二極的な二種類のどちらかに決定する事の出来る能力を持つ存在の事である。すなわち、言い換えれば、絶対者という事である。

6.たとえ、どんなに賢く、奇抜で素晴らしい事に気付いたり、考え付いたりしたとしても、それは神エホバに従って生きる為の手段ではあっても、決して目的では無いという事である。

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