高田義裕の人生論

今日の格言

人間にとって最も大事な事は口の使い方である。相手に言ってしまった事はもはや元に戻らないのであり、私達は話す前によく考えてから言葉を選んで話すべきである。

2.生まれてこのかた失敗や迷惑をかけた事が無い者がまず神に反論するがよい。私達は多かれ少なかれ罪を犯している互いに同レベルの存在であり、私は彼より少しマシだとか、あるいは、私はあなた方よりだいぶマシだとか言って罪の数を細かく数えてランク付けする事は神の見地から見れば非常に虚しくナンセンスな事であり、誰もが皆50歩100歩なのである。

3.たとえ人が不正を行っているからと言って、少しも私達は他の人を裁く手間を取る必要は全く無いという事である。なぜなら他の人々も私達も誰もが皆、一つの公正さ、すなわち、すべて最後には自分達の蒔いた業の実を刈り取るのであり、最終的にはその行っている業のままに報われるからである。これは誰にも不公平は無いからである。

4.人生とは、その全般に渡って、未定、もしくは不確実な要素であり、私達にとって[永久に分からないもの]として定義されうるものであること。

5.人生がとにかく、生きるという事が非常に難解で問題が次々と生じてくると思われる時、これはそれに比例して[生]とは、神業の所産ゆえに私達には到底扱う事は無謀であるという事である。すべては[これは~である]とはっきり固定されうるかの様な私達の大好きな理屈では決して無いのである。すべては理屈(人智)を超えた神業なのである。

6.私達は義を全うする事も出来なければ、災いや試練や挫折から自力で完全に立ち上がれるほどの勇気を全うする事もまた出来ないのである。

7.聖書の言う完全さとは、未完成に到達する為の完成の事であること。すなわちあくまでも、スタートラインに立つための完成に過ぎないこと。

8.[子供を教育する]という本質とは、[すべてを明らかにしない(教えない)]という所から始まるものであり、ある意味において[嘘をつく]事なのである。

 

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