高田義裕の人生論

今日の格言

この世の中にはすべて揃っている人など1人もいない。けれども私達人間は他の人のいいところだけを見て、それを羨ましいと思って妬んでいる。例えば、ある大金持ちを見て、人は自分も彼の様に大金持ちになりたいと思うかもしれないが、確かに彼は大金持ちかもしれないけれども、実は子供に恵まれず、自分の老後が不安で夜も眠れなかったりする。また、人々から絶大な人気のあるスター俳優を見て、自分もああなりたいと思うかもしれないが、そのスター俳優は、すごく貧しい国に生まれ、自分の親から奴隷として売られ、その連れて行かれた国でたいそう苦労してたまたま現実の地位に収まる事が出来た。すなわち彼は親からの愛情を受けて来なかったから、非常に愛に飢えており、実は鬱病を抱えている。また異性から羨望のまなざしで見られるほど大変美しい女性がいるが、実は幼少の頃、自分の叔父から性的虐待を受けており、大の男嫌いだったりする。また頭脳明晰で芸術や数学の分野で活躍している、ある事にずば抜けて才能がある人でも、実は発達障害という人格障害を抱えていたりする。また性格的にとても頼りになり、たくましい人でも、普段は暴力的で粗暴だったりするし、また、とても気の優しい人でも、とても内気で対人恐怖症であったりする。また、とても優秀で仕事が出来ても、同僚からは嫌われる性格の悪い人であったりする。この様に隣の芝生は青く見えるけれども、実は人とは大差無いのであって、他の人の事を羨ましいと思っているあなたこそが、他の人から羨ましいと思われているかもしれないのである。

高田義裕の人生論

今日の格言

神エホバの下には何ものも権限は無いのである。

2.自分の義を追い求めている者は、自分の栄光を求めている。しかし、神エホバの義を追い求めている者は自分の栄光を求めてはいない者であり、その者は真実な者である。

3.本物とは、常に自分が本物とは自らが自称しない者である。

高田義裕の人生論

今日の格言

宗教とは、もしそれが一番正しい、それが唯一の真理であるという確信のもとにそれを信じるというのであれば、それはもはや精神的な強力なアヘンである。この世の中に一番正しいものがあるとか、これが真理である、とか言っている人は、この世の中は皆、正方形で出来ている、正三角形で出来ている、正八面体で出来ていると主張する事と同じである。ではこの世の中はすべてが白か黒かではっきり区別する事が出来、正解が常にある、数学の問題の様に解決出来るほど単純明解なものであろうか。いや、決してそうでは無い。現実世界は、正解というものが見出せない数学の問題の様に単純では無い。そこには、いびつな三角形や歪んだ四角形や大きさの揃っていない多面体ばかりである。そう、簡単にまっすぐな定規で長さや面積を測り出せる様なものでは無いのである。この世の中には、解決しようにも解決出来ない問題で満ちている。人が周りにジャガイモやニンジンや玉ねぎやピーマンや大根やトマトなどの野菜の種類が豊富にあり、いろんな選択肢がある中で、自分があえてトウモロコシを選ぶとしたら、それは本当の本人の意志であり、正しい事である。しかし逆に、世の中全体が飢饉に見舞わられており、トウモロコシしかないのであれば、誰でもトウモロコシを食べるほかない。宗教を信じている人もそうである。自分の宗教が一番正しい、これこそ唯一の真理であると思っている人は、飢饉でトウモロコシを食べるしかない人と似ている。要するにトウモロコシ以外の野菜を知らないだけで、本当に自分の意志でトウモロコシを選んだわけでは無いのである。これは犬と同じである。犬にとっては飼い主がすべてだが、それは飼い主以外の人間を知らないから飼い主に従っているだけである。では、その飼い主は一番正しく、真理であり、神か。決してそうでは無い。その飼い主はたくさんいる人間の1人にしか過ぎないのである。すなわち、それは絶対的なものでは無い。それはあくまでも相対的なものである。よって結論として、それが一番正しいから、それが唯一の真理だから、それを信じるという動機づけは間違っているという事である。なぜなら、それは食べる野菜はトウモロコシしか無いと言っている事と同じであるからである。

高田義裕の人生論

今日の格言

あなたはある人に対して100万円の負債があるとする。しかしあなたの能力上、一気に100万円を返す資力は無い。それではどうしたらよいか。それは100万円を分割して少しずつ返すという方法があるのである。これと同様に、あなたは非常に人生において困った時期があって、その時ある人に非常にお世話になり、命を助けて貰った。それでその人に負い目があるとする。あなたはその人に助けて貰った分、何とかしてお礼をしたいと思う。しかし自分の性格や能力上、その人に対して自分の命を犠牲にして捧げるとか、自分の大切なものを犠牲にしてまで相手の人に尽くすなどという大それた事が出来ない。あなたは自己嫌悪に陥るが、それは心配しなくてもよいのである。すなわち、先ほどの一気に100万円を返すほどの大きな自己犠牲を無理にする必要は全く無いのである。すなわち、その100万円分の負い目を100で割って小分けにし、毎日1万円ずつコツコツと自分のペースで返していけばよいのである。すなわち、具体的に言えば、助けて貰った相手の所へ毎日通って、夕ご飯を作ってあげるとか、相手の所に毎日通って話相手になったり、その人の悩みの相談にのってあげたりするなど、無理のない些細なお礼や親切を継続して示し続けていけばよいのである。すなわち自分が何か立派な聖人の様になって、人に対して奇跡的な施しをする必要など無いのである。要は自分の出来る範囲内で負債額を払ってしまえばそれでよいのである。

高田義裕の人生論

今日の格言

盛者必衰の理をあらわす。驕れる者久しからず。すなわち、今の勝利者は生きている間、敗者になる可能性を持っている。また、今の敗北者は生きている間、勝者になる可能性を持っている。

2.70億人の人間とは、70億人の正論に匹敵する。

3.世間知らずという意味とは、周りに対して自己中心的である事と同一である。

4.自分の1つの生き方を逃して(失敗して)悩んでいる者に対して言う事は、人間の生き方とは、決して1つでは無いという事では無いだろうか。

5.隣人に対する愛とは、自分自身の意図する高い次元(意味)での犠牲では決して無く、極めて低い次元(意味)での自己犠牲の事なのである。すなわち、自分に栄光が帰される様な、貧しい人に対して何百億のお金を寄付して目立とうとする事では無く、心の貧しい人の愚痴を聞く事であり、心の貧しい人のストレスによる暴力や罵りの言葉を受け入れる事であり、それを許す心であって、すなわち、自分より低い者に対して自分がさらに低く行動する事なのである。

高田義裕の人生論

今日の格言

生きているだけで希望がある。

2.神の存在を疑う者は自分の存在を疑う事に等しい。

3.完全主義にはなるな。徹底主義であれ。

4.すべて気持ちは思いよう、物は用いようで決まるのである。

5.人との戦いが悪であり、自分との戦いが善である。

6.自分に対して病的にまで自信の無い者は、実は人に対して並々ならぬ驕りを抱いている事に他ならないのである。その奥底の心理が表面に反面教師の様に出てくるのである。

7.日頃忙しい者ほど余暇が楽しいのである。

8.よく働く者は食事がうまいのである。

高田義裕の人生論

今日の格言

恋愛論

好きな人と相性が良い人とは違う。よって好きな人と結婚するより、相性の良い人、すなわち一緒にいて、お互いに気を使う関係では無く、お互いに心からリラックス出来る相手を選ぶべきである。またセックスの相性が良い事を優先して結婚するべきでもない。相性が良い人がセックスの相性も良いとは必ずしも言えないからである。

2.人は価値観が同じ人と結婚するべきであるが、価値観が同じという事は、同じ価値観のゆえに利害的価値観も一緒である事により、不仲になる危険性がある。よって基本的な基盤となる価値観は同じでも、考え方は異なる相手と結婚した方が良い。例えば、神を信じているという2人の価値観は同じでも、性格まで同じであってはならないのである。神は多様性を愛しておられ、たとえ神を信じている同志でも、あなたが内気な性格であったなら、相手の方は社交的な性格であった方が良いのである。なぜなら、それによってプラスとマイナスが共に引き合う様に、お互いがお互いの弱点を補完し合う事によって多様性が生まれ、互いの絆は強まり、2人の関係は安定するからである。

高田義裕の人生論

今日の格言

本当に澄んで綺麗な川に魚も住まない様に、真理に対してそれは清すぎて人々はそれを愛さなかったのである。

2.人の心は液体や気体にも勝って変幻自在に変化するものであり、何物にも勝って不安定で不確実なものである。

3.人を治めるのに最も肝心な事は、働きに対する報酬を与える事であって、それをしない、もしくは出来なくなった王朝こそが滅んでいったのである。それに対して神エホバは忠実な人々に対して、常に満ち溢れるほどに報いてくださるのである。

4.人間にとって難しい事柄は神にとっては簡単な事である。また、人間にとってたいそう価値のある賢い事柄も神にとっては愚かな事である。

5.いつの時代、どこの国の人々でも、自分達にとっての幸福と平和を常に求めているのに、それを叶えてくださる神エホバを愛さない者が多いというのは、何というおかしな悲しむべき、すれ違いであろうか。

6.はっきりと言っておく。この世で患難に遭いながらも、それでも神エホバを愛していない者は、患難を受ける事を否まない者なのである。あなたは患難を自分で引き寄せた事になる。

高田義裕の人生論

今日の格言

発想の転換

あなたは毎日同じような価値観で生きており、ある悩みを抱えているとする。しかしその悩みは常日頃の価値観を打破して見れば解消するかもしれない。例えば、世界地図を広げて見ると、私達は北半球に位置している。だから日頃から北半球が世界の中心であるかの様に考えてはいないだろうか。よって我々の常識から言えば、南半球にはほとんど大陸が無く、オーストラリアしかない。だから南半球は大陸が少なくてオーストラリアしかないから、オーストラリアの人は世界の中心には無くて、ポツンとひとつだけ下にある孤立した大陸だ。さぞ寂しいであろう。などと考えてはいないだろうか。しかし、逆にオーストラリアを視点の基準にすれば、北半球には大半の大陸がある。しかし南半球には私達のオーストラリアという大陸だけしかない。私達オーストラリア人は多くの大陸よりもひとつだけ突出して上の方にあるから、私達は世界の中心であり、世界のナンバーワンだ。と思っているかもしれないのである。また、あるAさんはあるBさんの事を彼女は内気でおとなしい人だ。友達が少なくて、さぞ寂しいであろう。と考えているかもしれない。しかし、BさんからしたらAさんは彼女は誰とでもすぐ仲良くなってしゃべるけど、彼女は寂しくて無理して社交的にしているのでは無いだろうか。友達が少なくても平気な私に比べれば、Aさんは余計な努力をして大変そうだ。と思っているかもしれないのだ。また、常日頃から出来るだけお金の支出を減らすために安いものばかり買ってお金がかからない様にしている人は、今日はこれだけ出費を減らす事が出来た。これだけ安く買えて大変うれしいと思っている。また金持ちは、贅沢で高価な食品ばかりを購入し、こんなに高価で美味しいものばかり買えて私は恵まれていて大変うれしいと思っている。しかし、安いものばかり選んで買う人から見れば、高価な商品ばかりを買う人はもっと安くて美味しい買い方があるのに、無駄にお金を払って損している。なんて損な事をしているのだろう、とほくそ笑んで冷笑する。しかし、金持ちは金持ちで、いつも安いものばかり買って、お金が無いのね、少ない給料からやりくりしなければならないから私みたいに何も考えずに大量に買えないのね、可哀想な人だ。と思っているのである。すなわちこれらに共通して言える事は互いが互いに逆の発想で物事を見ている事である。私達の常識は他の人から見たら非常識なのである。私達の考え方は絶対的なものでは無く、あくまでも、相対的なものである。よって、あなたの抱いている悩みも絶対的な価値観では無いのである。他の人から見ればそれは羨ましい事かもしれないのである。よってぜひ、たまには世界地図を逆さまに見る様にして、あなたの常日頃の常識を逆さまから見つめ直すと良い。すると今までの悩みがまた別の価値観を持ってあなたに新たな世界の境地を開いてくれるかもしれないからだ。

高田義裕の人生論

今日の格言

義なる者にとっては、すべては清いという意味の真意とは、あらゆるどんなひとつひとつの物事に対しても、常に良い部分だけを上手に抽出している人間の事を言うのである。すなわち、雨が降れば、明日は晴れるだろう、と前向きに考え、怒られたら、怒られた相手にでは無く、自分のどこに怒られた要因があるのかを尋ね求め、それを見いだしたなら、よくぞ怒ってくれました、と相手に感謝する事により、怒った相手がむしろ仰天する事であり、災いにあったなら、自分と同じ災いに遭っている人の気持ちが分かった、と喜ぶ事であり、貧しければ、貧しさを楽しむ心の余裕を持っている事であり、性格の悪い人と仕事をしなければならない時には、その人の何かしら良い面を積極的に探す人の事であり、なんにせよ、すべての事を肯定的に前向きに考える人の事を言うのである。よって義なる人によってすべての事柄は清くされ、精錬されるのである。