高田義裕の人生論

今日の箴言

人々はなぜ、皆、偶像を崇拝することを好むのだろう。なぜならそれは、偶像は無きに等しい者だからである。偶像の神は、人々が何をしようと、殺人を犯そうと、姦淫を犯そうと、何も言わないからである。何しろ、人は、厳しい規則が大嫌いである。自分で好き勝手に過ごし、安楽で、堕落した生き方をしたいのである。ひるがえって、人々は、唯一真の神エホバ(キリスト教の神)を崇拝することを嫌う。なぜなら、本当の神は、実在しており、私達人間のように、人格を持った存在だからである。神は非常に、高貴で清い方であり、人々にあれこれと、御自分の御意志に従うことを要求される方だからである。よって、神の高い道徳基準を守らなければならなくなり、人々はそれを、おっくうに感じ、自分の自由を奪われていると感じるからである。

高田義裕の人生論

今日の箴言

恋愛論

人は結婚相手を決めるとき、次の点を考慮すべきである。相手の異性が一番魅力的に見える時に、相手を選んではいけない。むしろ、相手の異性が、一番自分の悪い部分を出している時に、相手を選ぶか考慮すべきである。その時、あなたが相手の一番だらしない部分を許せる範囲内であると判断できれば、初めて、その人を結婚相手にすべきである。

高田義裕の人生論

今日の箴言

生きるとは何かを問うために生きる。それが生きるということだ。すなわち、これが、聖書の言う永遠の命である。

高田義裕の人生論

今日の箴言

神と悪魔の対話

悪魔は言った。すべての者は私より下である。

神は言われた。すべての者は私より上である。

高田義裕の人生論

今日の箴言

一つの物事には、一つだけの解釈があるのではない。無限の解釈の仕方がある。例えで考えて見よう。ある温泉街に毎年花火大会がある。その日には大勢の見物客が訪れるが、近くに有料駐車場があり、車一台につき500円を徴収している。ほとんどの車は花火が始まる前に駐車場に到着しており、30分の花火大会を十分に楽しんだが、ある少数の車だけは、花火が終わる5分前に到着した。それでも彼らは同じ500円を徴収された。これに対してある人は言った。彼らは五分間しか花火を見れなかったのに、それでも、500円を徴収された。これは不公平ではないか。彼らには無料にしてあげれば良かったのに、なんと欲張りなのだろうと。しかし、また別のある人が言った。イヤイヤ、駐車場は決して欲張りでもなんでもない。花火が終わるぎりぎりに到着したのは、あくまで彼らの都合上のことなのであって、駐車場が同じ500円を徴収するのは当然であり、公平なことなのだと。このように、同じ事柄に対しても、全く逆の解釈の仕方ができるのである。この世は、そのようなことで満ちている非常に複雑で、かつ、多様性に満ちた世界なのである。

高田義裕の人生論

今日の箴言

人工生命を造ると人は言うが、造るという時点でそれは生命ではない。なぜなら、生命が存在するのに材料は必要ないからである。そう、生命とは、何もないことだからである。生命が生じるといったこともない。生命は存在するということでもない。ましてや、生命を造るといったことでもないのである。あくまでも、何もないことが、生命そのものなのである。

高田義裕の人生論

今日の箴言

あなたの敵は常にあなたしかいない。他の誰もあなたの敵ではない。なぜなら、すべての人はあなた自身とは全く別の他の人だから。しかし、あなたは言う。彼の言動に腹が立ったから、私は彼に敵意を示したのだと。それは違う。それは彼の態度を腹が立つと判断した自分がそこにいるからである。勝手に腹を立てたのは自分なのである。見方を変えて腹を立てない態度を取ることも、自分自身次第である。誰もあなたを腹ただせてはいないし、そう出来る力もないのである。また、別の言い方もできる。彼の態度が腹立たしいと思ったのは、彼があなたの発している態度や雰囲気にただ、素直に反応しただけであると。他の人は自分の鏡なのである。自分は全くそんなつもりは無くても、あなた自身が無意識にまた、無自覚に相手に嫌悪感を抱かせるようなメッセージを体全体から発しているのである。故に、他の人の自分に対する反応も自分自身にあるということである。

高田義裕の人生論

今日の箴言

正しくなろうとすることは、悪いことである。なぜなら、古今東西、すべてのものを悪くする原因が、正しくなろうとする欲望にあるからである。これはすべて、悪いことを行なった人間の発した動機が、自分は正しいことをやった、とか、本人自身が悪いことをした、という自覚が全くないことによっても裏付けされる。すなわち、正しいことを追い求めるのではなく、ただ、悪くならないようにしさえすればそれで善いのである。正しさを追い求める原因は、自分の欠点を正当化できる一番手っ取り早い方法だからである。大事なことは、自分の弱点を正当化せず、それにまともに向き合い、必死にそれと格闘し、それを克服することにあるのである。それこそ、初めて正しいことなのである。

高田義裕の人生論

今日の箴言

新倫理学叙説

6.どんな分野であれ、今の状態を現状維持していくためには、常に前に出て、常に新しいものを生み出すことをしてゆかねばならない。

7.人間は誰であれ、自分の蒔いた分を必ず刈り取ることになる。悪いものを蒔いた者は必ず、自分に悪い報いを受け、善いもの蒔いた者は、必ず善い報いを受けるのである。