今日の箴言
進化論と神の創造説2
人間の誕生説で、進化論と神の創造説があることは以前にも述べた。私達はつい、どちらが正しいのか決着をつけたくなるものだが、ここでは、そのような姿勢はひとまず置いといて、お互いの論理の長所と短所を述べてみたいと思う。まず、進化論だが、その良い面は、適者適存もしくは、弱肉強食の世界を展開していることである。確かに私達の社会は、競争によって成り立っている。自分達の能力や技術は、互いに競い合わないとそれは進歩しない。なぜなら、人という動物は、その根っ子では、怠惰であるからだ。私達は働かなくても食べて行けるのなら、決して働かないからである。しかし、実際には、働かなければ食べて行けないから、仕方なく働いているのが本音ではないだろうか。それで、互いに競い合って、その勝者が多くの利益を得るというシステムにして行かないと、人は努力しようとしないのである。もし、競争のルールが働かなかったら、私達はいまだに石器時代のままであったろうし、現在の医学の進歩や、工業や商業の進歩は無く、現代のような便利な生活を送ることは出来なかったであろう。ここまでは進化論の考え方は、理に適っていると言える。しかし、この世の中は、弱肉強食の論理だけでは説明することの出来ない事柄も存在する。例えば、人々には、思いやりの精神があるし、時には、自分を犠牲にしてまで相手の人間を助けるという、競争論理からは、説明のしにくい利他的な親切心も人間は有しているからである。また、競争主義の成れの果ては、富裕層と貧困層の極端な二極化が進み、いずれは、強者が弱者を支えなければ、崩壊してしまう自己矛盾を抱えているからである。もう一つの短所は、進化論の最大の目的が種の存続にあることである。すなわち、自分の子孫を残すことが進化論では最大の正義であるから、それを人間に当てはめて見ると、男と女はできるだけ沢山の異性と性行為をして、自分の子供を作っても良いことになり、これは、堕胎の増加を助長し、淫行や姦淫を正当化できる道具となってしまうからである。次に、神による創造説の長所を見て行こう。人間が神によって創造されたなら、人間が生きるのに、正当な理由や生き甲斐も神が与えてくれるし、神に信仰を持つことによって、人はその心の内に、平安を見いだすことができる。しかし、その短所は、余りにも神の要求される生活の基準が高いため、万人向けではないことに尽きる。神の高い道徳基準を守ろうとしても、それに従わない者や、その基準から落ちこぼれる人も出てくるからである。そこで、神に従う者と神に従わない者という単純な区分が成され、それに拠り、この世界の多様性は無視され、昔の中世の暗黒時代のような、言論の自由の無い閉鎖的社会が作り出されてしまうからである。