高田義裕の人生論

今日の箴言

1.黙して行動することは、ただ、言うことに勝る。

2.たった一つの実行力は、多くの計画案に勝る。よって、人にとって、実行力こそすべてである。

3.単なる知識の収集は人を思い上がらせるのに対し、人が肌で得た経験は、人を育てあげる。

4.どれだけ立派な事柄に気付いたかどうかが問題ではなく、ただ、どれだけ良い事柄を行ったかが問題なのである。

5.無自覚な者には、知識が必要であり、知識を得ている者には、行動が必要である。

6.自分のした事が、間違いである、とはっきり認識出来なければ、それを止めようとする気持ちも湧かないのである。

高田義裕の人生論

今日の箴言

1.たとえ、人を戒めるにしても、人を褒めるにしても、そのベースになっていなければならないものは愛である。

2.私達は、すべての人達に対して、たとえ、どんなことを話すにしろ、そのベースになっていなければならないものは、常に、相手に対して敬意を払うことである。

3.異常なことをしなければ、自分の正常さを保てないとき、その状態のことを初めて、異常と言う。

高田義裕の人生論

今日の箴言

あなたは人とお喋りするとき、僕はこう思うのだけど、と自分の気持ちを述べたとする。すると、必ず相手はそれと反対の意見を述べてくる事に気付いているのではないだろうか。ここで大事なのは、あなたが相手に期待しているのは、相手の意見を聞きたいというよりは、ただ、自分の気持ちに素直に同調してもらいたいのである。自分の気持ちを打ち明けると、相手が、ああそうなんだ、僕もそうだと思うよ、という肯定の答え、言い換えれば、ただ、自分の気持ちを相手に受け止めてもらいたいだけなのである。しかし、大半の人はそこまで気が回らず、自分の主張を言ってくるのである。あなたはそれにがっかりし、不満を覚えることであろう。だから、まず自分の方から先に、相手が何か自分の気持ちを訴えてきたときには、ただ、素直にそれを、そのまま受け止めてあげると良い。そうすれば、いつか必ず、相手も同じようにしてくれるであろう。また、相手の人間が自分とは反対の気持ちを伝えることは、相手に非があって、思いやりに欠けている点もあるが、また別の理由もある。それは倫理の平衡バランスである。人間とは、倫理的動物であるから、本能的に、倫理的平衡バランスを保とうとする。すなわち、他の意見を述べることによって、意見の偏りを無意識に元に戻そうとするのである。だから、あなたの言った意見の反対のことを言ってくるのである。

高田義裕の人生論

今日の箴言

1.批評することはたやすいが、褒めることは難しい。

2.滅びることはたやすいが、発展することは難しい。

3.死ぬことはたやすいが、生きることは難しい。

4.憎むことはたやすいが、許すことは難しい。

5.見捨てることはたやすいが、救うことは難しい。

6.使うのはたやすいが、造るのは難しい。

高田義裕の人生論

今日の箴言

1.自分の期待以上に、また、自分の能力以上に、うまくいっている者は沢山いるが、自分の思い(意図)どおりに行っている者など一人もいないのである。よって、前者は、いずれ、自分の予想していない時に、予想もしていない問題に直面する事になり、いつか突然、うまくいっていた事がうまくいかなくなる事を覚悟すべきである。しかし、後者は、自分の予測している通りに問題が生じる事を予測出来るし、いつうまくいかなくなるかを、事前に知っているので、その問題が生じる前に、それに対する予防策を打てるのである。よって、彼の行うことは常に成功し続けるのである。

2.人は望みが多きければ多きい程、悲嘆もまた多きくなる。

3.人は富めば富む程、また、心配も多きくなる。

4.人は賢くなればなる程、また、心の痛みも多きくなる。

高田義裕の人生論

今日の箴言

死とは何か。

人間の体は絶えず、新陳代謝を繰り返しており、これは言い換えれば、人体内部の細胞間での生と死、また、互いの栄枯盛衰の激しい戦いなのである。古くなった細胞の意志がいつまでも生き続けたいと思っては、新しい細胞が生まれてこないのであり、古い細胞が犠牲となって死んで初めて、体全体が生き続けていくことができるのである。すなわち、古い細胞が利己的になって、いつまでも死なないため、どんどん体全体の細胞は古くなっていく。そして、古い細胞の数が新しい細胞が生まれるという過程を凌駕する時、そこで初めて体全体の死が訪れるのである。よって、死とは、本来の正常な新陳代謝が機能しなくなる事によって得る結果なのである。すなわち、人間の死は、いつまでも死なない細胞が存在するために起こる現象なのである。

高田義裕の人生論

今日の箴言

なぜ、人は生きることに困難さが生じ、行き詰まると、宗教に目指すのかと言うと、それはひとえに楽だからである。自分は何も考えずに、ただ指示された通りに行っていれば、最低限の物質的、また精神的な必要は保証されるからである。これは、多くの人間を、ただ一つのイデオロギーに縛りあげて精神的に、融通の利かない人間に作り上げてしまうのである。それは、結局は崩壊した、社会主義的、官僚主義的な精神の堕落を助長させ、人間が人間らしく無くなり、まるで何かに操られているロボットの様な者に作り上げられていくのである。

高田義裕の人生論

今日の箴言

ただ、正しさだけが存在しても、物事は成り立たない。なぜなら、正しさだけという状態は、何も書かれていない真っ白な白紙の状態だからである。そこに、黒という悪い事柄が加わることで、初めて、水墨画の様に、あらゆる形や絵、文字、図形などを表現できるようになるからである。要するに、正しさとは、悪い事柄が正しい分だけ存在することをいうのである。

高田義裕の人生論

今日の箴言

経営論

私が最近気付いた事として、あるショッピングセンターでの事がある。私はフライパンを買いに行ったのだが、どのコーナーにフライパンが置いてあるのか分からなかったので、店内にいる店員に聞こうと思った。しかし、ものすごい大きな売り場に、店員はなかなか見つからず、私はそこら中、探して回った。そして、ようやく、店員を見つけたのだが、彼女は非常に忙しくしていた。ものすごく声をかけるのに勇気がいったが、どこにフライパンがあるのか尋ねた。すると店員はちょっとめんどうくさそうな顔をして、実にあっさりと、21番コーナーにあります、とだけ言って、また、そそくさと自分の仕事に戻って行った。それで私は21と書いてある、棚コーナーをなんとか探し当て、フライパンを見つけることが出来たのだった。しかし、ここで、私は非常な違和感を覚えて、それなりに熟考してみた。それはこうである。店を経営するにあたって、いろんな仕事がある。商品を棚に陳列したり、在庫を確認することも立派な仕事である。しかしである。店側として、一番大事にし、最優先しなければならないのは、お客である。なぜなら、その商品を買ってくれるのは、お客様だからである。しかし、私の場合、彼女は、私という一人の客の都合よりも、自分の担当している仕事の方を優先していたのである。これは、まさに、本末転倒で、コンビニでもよくあるが、配達されて来た商品の数のチェックや陳列に、夢中で必死になっていて、レジに来た肝心のお客を待たせてしまう、というケースである。また、最低限の人数で仕事を任せて、少しでも、経費を削減しようとする気持ちも分かるが、それでは、私みたいに客に店員を探すという無駄な行為を助長してしまうのである。このように、経費削減を最優先しようとするあまり、逆に、一番大事な接客がおろそかにされてしまうのである。これを、商売のジレンマと言う。もし、これを改善しなければ、徐々に客足は減って、経営に行き詰まるのは、目に見えているのである。